クリスマスまであと・・・

クリスマスまであと一カ月と二週間ほど。そろそろツリーを出そうかな・・・と早くも考え始めるお宅もあるかもしれない。
ハロウィンが終われば翌日にはクリスマス一色に、クリスマスが終われば翌日は正月ムードへと、ほんの数時間で売り場ががらりと変わるのも妙に日本らしくて個人的には楽しかったのだが、気がつくと今年のロフトはハロウィンが終わる2週間以上前からクリスマスコーナーができはじめたようだ。クリスマス商戦の開始がまた少し早まったのでは・・・と感じている。
私はハロウィンを祝う習慣も、イースターを祝う習慣も生活に浸透していないが、クリスマスだけは特別で、毎年この日に向けて家のあちこちに、子どものころは叶えられなかったクリスマスの夢をちりばめて、一人楽しい夢を見ている。夫も息子も男だからか、飾りつけにあまり興味はないようで、四季折々の設えは完全に私の好み一色、楽しい独壇場である。

私には3つの「これぞクリスマス」というストーリーがある。私のクリスマス原点ともいえるような大切なストーリーで、いつまでも色あせないこのストーリーを毎年しみじみと味わっては「幸せだなあ・・・」と、このストーリーとともにクリスマスを迎えることを本当に幸せに感じる。その最たるものはディズニーの世界のクリスマスだ。

息子が小さかった頃は、寒い中東京ディズニーランドへ行って、私はミニーちゃんの耳をつけ、息子にはふかふかの耳当てやクリスマス色の服を着たドナルドダックのぬいぐるみを持たせて写真におさまった。家ではディズニーのクリスマスビデオを息子と一緒に見て、息子以上に私がクリスマス独特の世界に浸った。雪の中、ちょうどいいモミの木を伐り出して部屋に持ち込む様子も赤々と燃える暖炉の近くに立てたツリーに飾りつけする様子も、根元にリボンのついた大きな箱が集められている様子もそり遊びも、どれもが私が子どものころ夢に見たクリスマスだったからだ。
やんちゃなヒューイたちは、待ち焦がれていたクリスマスの朝を迎えると、ものすごい勢いで階段を下りてきて、プレゼントの包装紙を派手に破いておもちゃに狂喜する。おもちゃで一通り遊ぶと、いっせいに銀世界へそりを持って走り出し、大歓声をあげて楽しむ。一般的な日本人が夢見るクリスマスがどんなものかわからないが、私が思い描く子どものクリスマスって「これよ、これ!」という、ドツボな世界を見せてくれるのが夢にあふれたディズニーのクリスマスなのだ。
ディズニーのクリスマスの夜は丸々と太った七面鳥のローストが必ず描かれる。ケンタッキーなんてサイズのものじゃない。
日本ではあまりなじみのない七面鳥だが、これがどんな鳥か知っている日本人ってどのくらいいるのだろう。私はある時本物を見てびっくりした。ド迫力のお姿と恐ろしいお顔でとにかくパワフル‼ 闘鶏とダチョウを合わせたような、対峙したらこちらが食べられてしまうのではと思うほどの鳥である。まるで北京ダックのようにてらてらと、こんがりオーブンから出てくる七面鳥の丸焼きは、クリスマスの絵を完成させる上で重要なピースであった私にとって、七面鳥のお顔は知らない方が幸せだったかな・・・と思うけれど、それをもってしてもディズニーのクリスマスは私に夢を存分に見させてくれて、何度でも見たい、今でも無性に見たくなる、そんなクリスマスストーリーである。

2つ目のクリスマスのストーリーは映画”ホームアローン”だ。クリスマス休暇をパリへ行って過ごそうという家族と親せきが集う大人数のバタバタに、一人忘れ去られ家に残されてしまった男の子の、たった一人で過ごす数日間の物語である。泥棒と知恵比べで闘う様子も男の子らしくて、アメリカンで、当時まだ子どものいなかった私は「子どもを持つなら絶対に女の子じゃなきゃ嫌!」とまで思っていたのに、この映画の男の子マコーレ・カルキンをみてから「男の子がいい!」と思ったくらいである。
ディズニーと同じアメリカのクリスマスではあるが、アニメではない、実際のアメリカの住宅街のクリスマスは、ケーキもピザもそり遊びも全てが夢の世界ではない実生活の中にあり、私に単なる”クリスマス”だけでなく”アメリカのクリスマス”というものに強い憧れを持たせた。

3つ目のクリスマスのストーリーは”若草物語”にあるクリスマスの朝のシーンだ。
4人姉妹が朝ダイニングへ降りていくと”お母さま”の姿はなく、お腹を空かせてお母さまの帰りを待っていた姉妹は、貧しくて病気で寝込んでいる隣人の家の赤ちゃんの面倒を見にお母さまが出かけていたのを知り、「汝、隣人を愛せよ」という聖書の言葉にしたがって、彼女たちが食べるはずだったクリスマスの朝の食事を隣人にクリスマスプレゼントしようと出かけるシーンである。決して裕福ではない彼女たちが、お腹を空かせながらも隣人に自分たちの食事を届け、暖炉に火を入れて部屋を暖め、赤ちゃんの面倒を見、病人の介抱して、お腹ではなく心をいっぱいにして帰宅したクリスマスの幸せな朝の話は、娘時代の私の心に深い感動を与えたし、そんな静かで美しいクリスマスの朝を迎える心豊かな生き方をしたい、と今もよく思う。

偶然にして、どれもアメリカのクリスマスのストーリーであるが、私はクリスマスが近づくと、どうしてもこの3つのストーリをもう一度見たくなるし、読み返したくなる。クリスマスというのは、どうしてこんなにも私の心をときめかせるのだろう。

我が家もそろそろクリスマスの飾りつけに入る頃だ。松ぼっくりとか北欧の小人とか、ひつじとか、小さなグッズはトイレに、洗面所にとお目見えして、家族も「おっ、いつの間に小人が・・・」となるのだが、ツリーだけは例年11月23日に出すと決めている。早く出したくて、この日まで待ちきれない思いをじっと我慢して、1カ月間だけクリスマスモードを楽しむくらいが私にはちょうどいい。飾ってからあっという間の一カ月間だけでなく、飾りたくてウズウズしている数週間も楽しい。そして、あともう少し飾っていたいな、見ていたいな・・・という26日で雛人形よろしく「さらば・・・」としまう。
昔はラメが所々入った白いツリーに、まるで赤ちゃんの頭上をくるくる回るメリーのオーナメントのような優しいパステルカラーの飾りつけをしていたが、年々シンプルな飾りつけになり、おととしからツリーのサイズも昔より半分のサイズに小さくなり、白熱灯の電球とシルバーのボールと星をいくつか飾る程度になった。そのかわり、部屋のあちこちに松ぼっくりや姫りんごを添えた白いロウソクを配して、落ち着いたクリスマスをイメージする飾りつけに変わってきた。私の好みの変化もあるが、我が家のマコーレ・カルキンが大きくなったということが一番の理由だろう。

今日のような寒い日はツリーを出したくてたまらなくなるが、今はネットをあちこち徘徊し、クリスマスグッズの物色をしている。
今年はペーパーリースを購入した。白一色の月桂樹のリースだが、凹凸がつくる光の陰影で、同じ白い壁にやわらかな花を添えている。このリースの存在に気づいたのは、少なくなくとも声にして感想を言って来たのは夫だけ。息子は知ってか知らずかノーコメントである。小人もどこかにいるのだが、誰もまだ見つけていないのか無関心なのか・・・。それでも私には、一歩また一歩とクリスマスが近づいてきている。1つずつ、まるでイースターエッグのように部屋のあちこちに忍ばせていくのも、私のクリスマスの幸せである。

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