おっきな豚まん!

数日前、夫が私用で横浜へ行ったとき、その帰りに横浜中華街である有名なお店の豚まんを買ってきてくれた。このお店の豚まんは、とにかくとっても大きくて、昔から私の大好物である。
中華街の食べ歩きが流行っていたころ、テレビで何度となく紹介された有名なお店で、私が初めてその店を訪れたのは今から約30年ほど前だ。あちこちでもうもうと蒸籠から湯気の立ちのぼる中、どこよりも多くの人だかりができていたので、詳しい場所も分からずに友人と出かけた私たちでも「ココ!!」とわかったし、他よりずっとサイズが大きいことと、その金額に驚いた記憶がある。
しかし、それより驚いたのは、この特大の豚まんの甘くやわらかな白い饅とぎっしりと詰まった具のジューシーな肉汁やタケノコのコリコリした食感である。それまで、店先の電気保温器の中で売られている小ぶりな肉まんしか知らなかった私は、この店の豚まんの全てが感動的で、「あ~、しあわせ~」と店先ではふはふ夢中で食べた。

ああ、懐かしい豚まん!!早くはふはふしたい・・・。 「いくつぐらい買って帰ろうか?」とあらかじめ電話で夫は聞いてきてくれたので、今夜は豚まん!と喉をゴロゴロさせながら、竹蒸籠の準備をして待っていた。
しかし、夫が持ち帰って来た豚まんを見て「あれ・・・?」と思った。なんか、ちょっと小さくない?気のせい??
昔はもっと大きかった気がするけどなあ、と思ったが、まあ蒸したら膨らむものだしね・・・と蒸籠に入れた。やや小さくなったように感じたとはいえ、それでもやっぱり普通の肉まんと比べたら大きい。27㎝の竹蒸籠は豚まんを2つ入れるのがギリギリ。二段で蒸そうにも豚まんの高さが普通の物よりあるので蒸籠を重ねることができない。仕方がなく、2つの鍋で一段ずつ蓋をして蒸した。

湯が沸騰してくると、蒸籠の匂いと豚まんの甘い匂いが混ざった湯気がふわあっとたちのぼる。木の蒸籠というのは本当に不思議な魅力を持った調理道具だ。マッチ売りの少女が雪の降る夜、窓の外からのぞいて見た家族だんらんの光景のように、蒸籠から立ち昇る湯気というのは幸せを感じさせる光景のひとつにあがるのではないかと個人的には思う。シチューをコトコト煮込む冬の幸せは、火とシチュー自体にあるだろうが、蒸籠は蒸籠という道具の特性によってもたらされるからだ。
温かな湯気で辺りが曇って来たのをいいことに、ちょこっと換気扇の周りの緩んだ油汚れをキッチンペーパーで拭いたりなんてしながら、もう一つの二次的な蒸籠の魅力を実感しつつ、蒸し上がりを楽しみにすること30分。蒸し上がった豚まんを見て、やっぱり店先で何度も食べたあの豚まんと何かが違うと思った。手に持った重量感も違う。
実際食べてみるとますます違った。具材は昔と同じなのかもしれないが、まず中のあんが肉団子のように固まって、生地との間に大きな空洞を作っていたし、肉汁も時折吸わなければならないほど溢れんばかりだった昔とはやはり違っていた。私の蒸し方がいけなかったのだろうかと思いもするが、店による説明書の通りの時間で竹蒸籠を使って蒸したのに・・・。持ち帰り用の冷凍された豚まんだったから、店先で食べたようなものにならなかったのだろうか・・・。

昔食べた豚まんの感じと具はだいぶ違ってはいるように感じたが、それでも白い生地の柔らかさや甘さはあの頃と変わりなく、とても美味しかった。しかし、肉まんってどうしてこんなに美味しいのだろう。中国に私は行ったことがないが、本場の肉まんはどんな味なんだろう。私が食べている豚まんは日本人向けの味に進化したものなのだろうか。
余談だが、先日ネットのコラムで「中国料理」と「中華料理」の違いを知った。本場中国の味付けで調理された料理を「中国料理」と呼び、日本人向けに味付けなどを変えた中国料理を「中華料理」と呼ぶんだとか。へえ~だった。「つまり、私は中国料理を好きだと思っていたが、中華料理を好んでいただけなのかもしれないっていうこと?」と、この歳になって知ったからだ。日本人の口に合うように変えていくのはどんな料理でも同じなはずだが、この中国料理と中華料理の話は、恋人からのプレゼントされたルイ・ヴィトンを本物と信じていたが、彼と別れてヴィトンを質屋に出したら、どこかのヤミで売られていたイミテーションと判明した・・・みたいな感じで少々ショッキングだった。でも、ちゃんと漢字を変えて知らせていたのだから騙されたのではないよね、私が無知なだけで・・・。

話は戻して、豚まんの美味しさは具だけに目が行きがちだけれど、実は白い生地の方にあるのかもと思ったりする。台湾の屋台で売られているという餃子の皮を夫の同僚が出張のお土産に買ってきてくれたことがあるが、ちょっとくすんだ色のその餃子の皮の美味しかったこと!非常にもちもちとして、餃子というのは皮を楽しむものなんだと思ったくらいだ。小籠包の鼎泰豊が新宿に出店した時も、友人と長蛇の行列に何時間も並んだ大変さを忘れ、「また絶対食べに来ようね」と食べたその場で言ったくらい美味しかった。その昔、台湾の友人が皮から作ってくれた餃子も美味しかったし、青菜炒めもびっくりするほどシャキシャキに、塩と生姜と油の加減もよく艶々に、しかしさっぱりと炒められていて、青菜だけのシンプルな炒めものの美味しさに開眼させてくれた。その友人は「日本人は中国料理となんでもひとくくりに言うけれど、中国料理なんてものはない。中国は広いので北京料理、四川料理、上海料理などいろいろあって全く別物だ。台湾は広東料理の味に近い」と言ったが、今もって向上心のない私は四川料理以外はどれがどれやらわからない。しかし、友人が徹底的に私の舌に教え込んだ味が広東料理なら、私の好む味はきっと広東料理なのだろう。
しかし、どれでもいいけど中華料理はやっぱり美味しい!世界の三大料理とか四大料理とか、時代によって意見も割れるが、今も昔も中国料理を外そうとチラッとでも考える人はいない。中国については政治的にいろいろ思うところはあるが、素晴らしい所は素晴らしいと正直に脱帽しよう。
私も餃子を皮を作って家族に楽しんでもらえるような腕前になりたいものだ。
料理教室、行こうかな・・・。

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