苔玉や盆栽が好きだと中学生の時に言った息子は、四歳のころ二胡が好きだといい、五歳のころは津軽三味線が好きだと言った。そして、小学生になってからヴァイオリンを習い始め、中学からはフルートやホルン、ギターと手当たりしだい洋楽器に手を出している。
あー小さい頃の好みは一時的なものだったのね・・・と思っていたのだが、つい最近になってアイリッシュ音楽に傾倒していることを知った。
アイリッシュ音楽、つまりアイルランド音楽だが、スコットランドなどを含むケルト民族として「ケルト音楽」ともいうらしい。どんな音楽か口で説明するのは難しいが、バグパイプが聞こえてきそうな、一番馴染みのあるところだと「無印良品の店内でかかっている音楽」だろうか。主音となる音が通奏低音のように控えめに鳴り続ける上を、息の続かなさそうな長いメロディーが独特のリズムと共に延々続く、といった感じの音楽だ。和声進行をしても主音がどこかで鳴り続けているのでサビと呼べるような部分がはっきりせず、延々と続く印象を持つのだろう。結構クセになる音楽だ。息子はこれを本来はフィドルの代わりにヴァイオリン、あるいはティンホイッスルというリコーダーの一種で演奏するが、その音楽の世界観は上手下手に関係なく、ヒースの草原を渡る北欧の風を思い起こさせる。街中の道路やレストランでにぎやかに演奏する光景や、低く垂れこめた鉛色の空を窓から眺めながら、「今日は漁に出られないなあ・・・」とアラル模様のセーターを着たおじさんたちが暖炉の側でスコッチを飲みながら演奏する・・・そんなイメージである。自然に身を任せて生きている人々の営み、悠久の時とでもいうのだろうか。なかなかこれも渋く味わいのある音楽だ。
悠久の時といえば、私も心奪われる音楽がある。若い時はクラシックやポップス、ジャズぐらいしか興味をもてなかったが、何年か前から中国やモンゴルの音楽に心魅かれるようになった。中国の二胡の世界、そしてモンゴルの馬頭琴の世界だ。二胡はおそらく息子の方が先手だっただろう。
二胡はパーティーバッグくらいの小さな木の箱にニシキヘビの皮が張ってあり、竿には二本の弦が張られている非常にシンプルな中国の伝統擦弦楽器だ。それを膝の上にのせ、ヴァイオリンと同じく馬の毛でできた弓でこすって音を奏でるのだが、その音は哀愁を帯びた人の声のようで、西洋音楽であってもこの楽器で演奏すると、途端に中国のゆったりとした時の流れを感じさせる。中国の音楽といっても、中華街やお祭りの時のドラやシンバルの音が騒がしく鳴るものではなくて、シルクロードのイメージというのか、乾いた風がどこまでも吹き抜けるような感覚の音楽だ。
![]() オーシャン・ロード・トゥー・チャイナ [ ジャン・ジェンホワ[姜建華] ]
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![]() CD/ジャン・ジェンホワ(姜建華)/故郷情熱
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かたや、モンゴルの馬頭琴は遊牧民の伝統擦弦楽器で、チェロのように軽く太ももで挟んで支えて演奏し、二胡よりずっと大きく、音も二胡より野太い。有名なモンゴル民話の絵本『スーホの白い馬』で馬頭琴の誕生が描かれているように、ネックが馬の頭に彫られたこの楽器は、馬が大地を響かせながらモンゴルの草原を駆け抜けるような雄大さと力強さがイメージされる。
![]() シルクロード・ジャーニー 〜出逢い〜[CD] / ヨーヨー・マ&シルクロード・アンサンブル
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二胡と馬頭琴、大きさも音もイメージされる光景もまるで違うが、そのどちらの楽器も擦弦の際にかすれ出る風の吹くような音が、大地や風や日の光といった自然の景色を彷彿とさせる。そして、まるで「夏草や 兵どもが夢の跡」のように、昔の息吹が聞こえてくるような錯覚さえ感じて、自然と目を閉じ、何かを感じ取ろうと心を無にして耳を澄まして、魂を抜かれたようにしてしまわせる力がある。
![]() Yilana (馬頭琴) イラナ / モクバノユメ – The Dream Of The Wooden Horse – 【CD】
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アイルランド、中国、モンゴル。遠く離れた土地で、見えてくる景色も風の匂いも全く違うが、共通して感じる悠久の時。非常に不思議な音楽である。
どんな話をして、どんな笑顔をして、どんな時間を過ごして、どんな風に生き、どんな風に死んでいったのか。どんな風を感じ、どんな草の匂いを嗅いだのだろう。体温と太陽に温められた獣の皮の服からどんな匂いを発し、どんな愛の物語があり、どんな悲しみがあっただろう。
言葉で語られるより、音楽は感覚を研ぎ澄ませ、五感に訴えてくる。完成された西洋の楽器も音楽も芸術として素晴らしいのは間違いないが、それらに比べればまだ完成されているとはいえないと言われるこうした伝統楽器の音楽も、アジアの素晴らしい宝であるとしみじみ感じる。
私のお気に入りは二胡の天才奏者と呼ばれる姜建華(ジャン・ジェンホワ)だが、世界的指揮者である小澤征爾も心奪われた彼女の演奏は、オペラでもタンゴでもジャズでも、もともと二胡のための曲ではないかと思うほど情熱的で、また頭の芯がマヒしそうになるほど美しい。
きっと和楽器にもそういう力があるはずだ。残念ながら私はまだ開発途中で、良さが今ひとつわからないが、息子とどちらが早くその良さに陶酔できるようになるか楽しみにしよう。
しかし、なんだかんだ言って、やっぱり中国はすごい国だ。だからこそ、政治の面は本当に惜しいよなあ・・・。中華思想はこれだけの文化を持つ国なら致し方ないのかもしれないと個人的には慮ることもできるけど、それにしてもちょっとね・・・。南シナ海についても日中関係についても環境問題についても、何とかなってほしいと切に願う。中国の威厳は力なんかで示さなくても、文化にちゃんとあるんだから。