思い出の杏仁豆腐

小学5年生の春だったように思う。同じ社宅に住むある方が我が家に手作りの素敵な冷たいデザートを持ってきてくれたことがある。それはガラスの器の中で真っ白にキラキラ輝いていて、彩りのフルーツが添えられた宝石のように美しいデザートで、あまりのきらめきに言葉を失うほどだった。

初めて見たそのデザートは杏仁豆腐である。しかし私はその当時名前を知らなかった。母も初めて見るお菓子だったようで、その後何度も、何年も「あの白いプリンのようなデザート作って」と度々頼んだが、母はそのデザートの名前を覚えておらず、レシピを探せないと言った。母が唯一持っていた水色のハード表紙のスイーツの本にも載っていなかったし名前も分からないということで、そのうち探すのをあきらめ、10年の月日が経った。

大学生になったある日、いつも心の中で忘れずにいたそのデザートにもう一度出会いたいと強く思うようになって、「自分で見つけるしかない」と本気を出して探し始めた。インターネットなどない時代である。本屋で片っ端から探し、ついにそれらしきものを見つけた時は驚いた。フルーツの飾り付けがされていたことを思い出しても、また「ブランマンジェ」という白いプリンのようなデザートがフランスのものであることからも、あれはフランスとかアメリカのデザートだったんだろうと思っていたのに、中国のデザートだというのだから・・・。
しかし、材料に杏の種が必要とあり、また行き詰ってしまった。杏の種なんてどこに売っているというの?と。
そしてまた数年か過ぎ、ひょんなことから遂にそれがアーモンドエッセンスと牛乳で代用できるとわかって、十数年越しの思いが一気に解決へと動きだした。

ガラスの器に流し込まれた白い液体を冷蔵庫の中で固め、ダイヤカットをほどこしてシロップを注ぐと、あの日のようにガラスの光の中で白いダイヤはシロップをたたえてキラキラと輝き出し、缶詰のフルーツを飾り付けて出来上がった杏仁豆腐は宝石のようになった。
しかし味は?端っこの小さなかけらをシロップと共に口にした瞬間、あのデザートだ!と確信した。たった一回見ただけ、食べただけのデザートを舌が、もしかすると香りかもしれないけれど、自分が覚えていたことに驚いた。10年以上探し求めている間、目ははっきりと覚えていても、舌の記憶は「すごく美味しかった」というだけでしかなく、仮に目でそれらしきものを見つけても、味の記憶がはっきりしていない以上、あのデザートかどうかはわからないのではないかと不安に思っていたからだ。
母は出来上がった杏仁豆腐を見て「ああ、あれ・・・」とだけいい、あのデザートを忘れずに1人で今までずっと探し続けていたんだとわかって驚いた、と後で話していた。

それから私は杏仁豆腐を何度も何度も作って、自分なりの甘さや柔らかさ、舌触りになるようにレシピを変え、今日はさっぱり系、今日は濃厚系というふうに私の杏仁豆腐なるものができあがった。もちろん杏の種を使って作る中国料理の杏仁豆腐ではなく、杏仁豆腐に似せただけの牛乳かんではあるが、母は私のつくるその杏仁豆腐が大好きで、栄養があるから体にもいいと、私が結婚してからは自分でも作るようになった。母のは牛乳と水の配合が私とは違うし、何よりアーモンドエッセンスさえも入らないので、完全に「牛乳かん」であったが、それでもしょっちゅう作って食べていた。

私が長い年月をかけて探し求めた杏仁豆腐もどきは、結婚後、夫と子どもにとっても大好物の手作りデザートとなった。息子が小学生時代、友達が遊びに来るときも必ず作って出した。「おかわり」「おかわり」と、まるで金魚すくいのようにみんなでスプーンを持って先を争って食べる中、息子は突然席を立ったかと思うと、サーバー用の特大スプーンを持って走り戻り、再び参戦しはじめたのを皆で大笑いしたり、「二刀流」で食べだす子や、それを見て「カマキリじゃん」などと笑いながら競争して食べる笑顔を見て、息子にとって、その友人たちにとって、この日みんなで食べた杏仁豆腐が懐かしい味、懐かしい思い出になるのかも・・・と思った。

NHKの「グレーテルのかまど」というスイーツ番組では、昔読んだ物語の中に出てきた憧れのスイーツを再現したり、母がつくってくれた懐かしいスイーツをエピソードを添えて作っているが、どのスイーツにもその人だけの宝物のような思い出のストーリーがあり、時間や空気が色あせずにその人の心の中に残っていることを感じさせる。
家族との食事も温かい思い出となるものだが、スイーツというのはもう一つ、何か特別な感覚を人の心の中に残すような気がする。たぶん”愛”なんだろう。手間暇かけて家族のために作られる食事にも当然”愛”があるのだが、お腹を満たすという目的からすればあってもなくてもいい手作りスイーツには、相手の喜ぶ顔を想像して作った人の素直な愛があり、食べる側もその時は”愛”まで読み取ることはなくても、振り返ったとき、そのスイーツから自分が惜しみない愛を受けていたことを思い出すのだろう。

私も家族にそんな心を残す”自分のスイーツ”を持って、夫や息子の心にさりげなく残す妻、母でいたい。スイーツには言葉では伝えきれない心をじんわりと思い出させる力がある。それは必ずしも正しい作り方のものでなくてもいいと思う。心はまがい物ではないのだから。

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