ネットスーパーに期待すること

私が最近はまっているネットスーパー。とても便利に、ありがたく利用させてもらっているが、実はいつも少し気になっていることがある。それは「お店はネットスーパーで本当に商売が成り立っているのか?」ということだ。
お店からすれば全く大きなお世話以外の何ものでもなく、「儲けのからくりをあなたが知らないだけで、ちゃんと儲かっていますよ」と笑われるかもしれない。でも、難しいからくりをよく知らない主婦でも単純に計算してみるだけで、このサービスがそれほど大きな儲けにはならないだろうというぐらいは察することが出来る。
ネットスーパー価格があるならまだしも、その日そこの店頭で売られている金額と同じ金額で提供され、瓶物にはネット状のクッション材を巻き、有料のビニール袋をふんだんに使って常温のものは常温で、冷凍ものは冷凍状態で、冷蔵ものは冷蔵でと小分けし、保冷コンテナにまとめて各家庭の玄関先まで運んでくるのだ。客が店に来て買ってくれれば掛からない梱包材料費と手間である。それに配達する人の人件費やトラックのガソリン代、保冷や梱包にかかる必要経費を思うと、割に合わないばかりか赤字なのでは?と考えた所で不思議ではないだろう。まして西友は5000円以上の買い物で配達料を無料としている。賃貸契約していた駐車場をもっていた店舗なら、徒歩や自転車で来てくれる人に対象を絞ってネットスーパーを機に駐車場は無くすとか、思い切って何かを削らなければ、余程多くの人がネットスーパーを利用しない限り、成り立つことの難しいビジネスのように思えるのだ。

それでも各大手スーパーはこのサービスを行っている。最初は西友が試験的に地域限定で始めたそうだが、立ち消えになるどころか結果的には他のスーパーも巻き込んで全国に広まった。今では食料品は生協や産地直送のネットショッピングなどで、日用品も楽天やアマゾンでなんでも買うことができ、玄関まで配達されるのが当たり前になって来たのだから、デンと今までのように腰を下ろして店を開けていれば、黙っていてもお客はやって来るという時代ではなくなったということはあるにしても、いくつもの実店舗を抱えながら、同時にお客の家まで商品を持っていく商売にも進出しようとするのはきっと大変な舵切りだったに違いない、と一主婦なりとも想像するのだ。

しかし、私はこのサービスはもしかするとものすごく大きな、いろんな可能性を秘めているような気がする。例えば、これからはPCやスマホを自由自在に操れる年齢の人々が高齢者となってくるのだ。スーパーをネット利用するそんな高齢者世帯に、地域の一般企業がそのネット利用状況から何か異変があれば感じ取れるように見守るといったようなことも可能にならないだろうか。
サザエさんに出てくる「みかわやでーす!」の酒屋のサブちゃんの御用聞きに懐かしさを感じるのは、どのくらいの年代から上の世代だろう。若い人はなじみがないかもしれないが、御用聞きとは週に一度とか頃合いを見計らって、必要なものがないかと店が注文を取りに各家庭を訪れる「みかわや」のようなシステムである。必要なものがなければ、「じゃ、また来週来まーす!」と帰っていくだけのさっぱりしたものだが、ほんの短い時間に交わす世間話的な会話で互いの近況がわかったり、学校や病院の情報を得ることもできたし、注文の量からそこの家の事情や動向がなんとなく感じられ、無意識のうちに互いを知り、見守り合う絆が生まれた。
お魚とお米とお酒とトイレットペーパーがいっぺんに届くネットスーパーや生協は、みかわやのような、いわゆる現代版の「総合御用聞き」である。違うのは、コミュニケーションが苦手な時代らしく、また押しつけがましいことを嫌う今の時代に合わせ、注文をお伺いしにやって来る「御用聞き」スタイルではなく、「頼みたいことがあった時だけ呼ぶから来て」的ドライなスタイルになったということだろう。

結婚しないことを選択する人、子どもを持たないことを選択した夫婦が増加し、一人暮らし、少子化、高齢化、過疎化といった社会の大きな流れの中で、老老介護の切実な話や孤独死のニュースなど聞く。様々な問題が複雑に絡まって容易には解決が見えないこうした問題に対し、「社会的弱者を社会全体で見守るためにはどうしたらいいかが問われている」というような話の締めくくりが定番だが、私には具体的にどうすることを指しているのかよくわからない。しかし、どんな大きな難題でも小さな風穴が突破口になることがあると考えると、ネットスーパーはその小さな風穴にならないだろうかと考えるのだ。

田舎で育った私は、新築一戸建ての家が立ち並ぶ新興住宅地ではあったが、近所の家と母はいろんなつながりを持っていたことを覚えている。母が病気で寝込んでいると知れば、近所のおばさんがおかずを持ってきてくれたし、その家が何日か旅行で家を空けると聞けば、植木や犬の世話を引き受けた。少なからず隣近所のつながりがあって、御用聞きもちょくちょく訪れて、何か異変があれば誰かが気づくようなコミュニティーだったように思う。プライバシーという考えがなかったわけではないけれど、今のように病的なほど線を引くような社会ではなかったから、ずうずうしくならない程度の距離感で互いを支え合い、何かあったら隣の家に駆けこめばいい、という安心感をもって暮らしていたことを思い起こす。
地域性にもよるだろうが、今はそんな近所どうしの関係性は希薄だ。自分が属している学校や職場といったカテゴリーの人とは関係を深めても、家に帰れば町内あるいは同じマンションというカテゴリーでは”個”にこもる、というのも東京のマンション暮らしならわりと普通だ。そんなコミュニティーとして希薄になりがちの地域の中で高齢者世帯の見守りを一般企業がボランティアとして担うなら、手遅れとならないような見守り機能を働かせることもできるのかもしれないと思うのだ。
まだ高齢者ではない私のような立場でも必ずいつか地域に支えられるような時がやって来る。その時あまりに自分の家の間口をピシッと閉め過ぎて籠城していると、気づいたら孤独死・・・なんてこともないとは限らない。共働きだったり、様々な問題や考え方の違いから、町内会の存在も若い人を中心に煙たがられるようになり、私も今はそれで何も困ってはいないけれど、いつか老老介護が自分の身におこったときのことを考えると、何か今のうちから講じておかなきゃ・・・と思うのだ。

そして企業も同様に、今までのように己の利益だけを追求する時代から、もっと国全体、そこに住む人々へその利益の一部を還元するようなボランティア精神をもった団体へと成熟することも必要な時代なように思う。このボランティアの精神が意外と日本では希薄な気がするのだ。勿論、有事の際には周りの人々と団結もするし、遠くから自費でボランティアに駆けつける志の高い人が大勢いる日本である。こうした遠方からのボランティアの話を見るにつけ、そこまでしたことがない私は心から頭が下がる思いだ。
しかし、普段日常の生活の中ではどうなんだろう。顔も知らない人の為に駆けつける熱いボランティアの心が、身近な日常生活の中にも当たり前のこととして染み透った社会に今の日本にあるだろうか。企業にあるのだろうか。
だいぶ昔になるが、タイガーの電気ポットに「みまもりホットライン」という商品が出た。年老いた親がお茶を淹れようとポットを使うとそれが信号となって、遠く離れて暮らす子どもの携帯などに送信され、親が元気かどうかを教えてくれるという商品だ。この商品が出た当時、自分が当事者ではなかったこともあって、随分ドライな見守りだなあ・・・と私はあまりいい印象を持ったなかったが、理想論ではなく現実を見据えて生まれたこの発想は、ネットスーパーを利用する高齢者の見守りにも利用できる気がする。

しかし、それには”ふるさと納税”のように、国がそうしたボランティア精神のある志の高い企業を積極的に支援するなどして、永続的に官民で国民を見守る仕組みがあってもいいのではと思う。ミシュランのように、その地域への貢献度にあわせて企業に星を与え、勲章としてもいいかもしれない。それが住民の信頼を得、利益につながるというようなプラスのサイクルになって企業も発展し、国全体も成熟するというのが理想なのではないかしら。

高齢者を見守るということが、誰かに重くのしかかるというものでなく、なんとなく知っている程度の気に掛け方でいいから、多くの目が注がれているという方が、長く安定的に、また誰にとっても負担の少ない形で共存できるように感じる。少子化ならなおさら地域の人の顔が頭に浮かぶ社会であることは必要だ。プライバシーの侵害にあたるという考えもあるのかもしれないが、プライバシーを守ることにあまり過敏になりすぎも危険じゃないかって考えるのだ。自分の間口をもう少し広く開けることも必要になるだろうし、国も企業もプライバシーという反論に恐れることなく、命こそ全てと制度を整えるような勇気が必要になるかもしれない。
情けは人の為ならず。ネットスーパーにそんな未来への期待を抱いている。

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