おしゃれなビニール傘  梅雨の楽しみ(4)

普通、みんな傘は家に何本くらい持っているのだろう。長い傘は何本?折り畳み傘は何本?
私は長い傘を2本、折り畳みが1本だ。夫と子どもは長い傘を1本と折り畳みが2本だ。他に、普段は使っていないが来客に貸してあげられそうな状態の傘が女物と男物で1本ずつ、あとは私の日傘で、長いものと折り畳みのものが1本ずつある。

 「雨の日に必要な道具」としてだけ傘を見れば、数はもしかすると多いのかもしれない。が、例えば私の2本の長い傘は青紫とゴールドで、服装に合わせて又はその日の気分に合わせて使い分けている。
特に女性にとって傘は、ただ雨を防ぐことができる道具ではないはずだ。私も傘が大好きで今までにたくさんの傘を買った。結婚前はそれこそパレットのように、同じ青でもクラシカルなイメージのする紫がかった青の傘やさわやかな水色のものなど、男からみたら道楽にしか思われないほど数多く持っていた。しかし、結婚し家族が増えてくると、収納スペースの面から見て減らす必要に迫られた。渋々、さわやかな水色の傘は花柄の傘に代用し、赤紫の和のイメージのする傘は青紫のクラシカルなものに代用して・・・と1本また1本減らしていった。そして今では2本である。もちろん明るいきれいな色の傘や、今はやりのデザイン性の高い傘もさしたい気持ちは十分残っているが、例えば喪服など特別な場合の時に、あまり場違いな色や形の傘であってはいけないし、かといってその時だけしか使えないと眠らせておくのも勿体ない、ということで、全ての傘を代表して絞り込んだ使いまわしの効く2色に落ち着いたのである。

小学2年の頃だっただろうか、私は初めて友達が透明な傘をさしているのを見つけた。全てが透明なのではなく一部だけが透明というものだったが、透明な部分に水滴がキラキラ輝いて、とっても綺麗だった。
今になって調べてみると、ビニール傘は「ホワイトローズ (元 武田長五郎商店)」という江戸時代から続く日本の傘メーカーによって生まれたそうである。誕生のきっかけは、当時は傘の布の染色技術が発達していなかったことからくる色落ちだった。この傘業界全体の大きな問題を、ホワイトローズ社は傘にビニールのカバーをつけてさすという何とも滑稽ないでたちを経て、骨に直接ビニールを張るというビニール傘を生み出すのだ。
当時の傘業界ではあまりにも異端的で、そのチープな風情に業界だけでなく世間からの風当たりも強かったようである。そりゃそうだろう。霧の町イギリスのジェントルマンは、艶やかな黒く長い傘をできるだけ細くきつく巻き上げてステッキのように持ち歩く、というように、傘のもつイメージはエレガントであったはずだから。
1964年の東京オリンピックをきっかけに、日本生まれのビニール傘はアメリカへも伝わって行ったそうだが、日本で巷に広まっていったのはその後のこと。ちょうど私が友達の透明傘を見た頃と時代的には一致する。

私はほとんど物をねだらない子どもだったそうだが、母親に「透明な傘が欲しい」といったことは自分でもよく覚えている。親は近くのお店を当たってくれたようだが透明な傘はなかった。
「でも、〇〇ちゃんは持ってるんだもん、どこかに売ってるはずだよ」
と諦められなかったが、
「じゃあ、その子にどこで買ったのか聞いてきなさい」
と親に言われて諦めてしまった。小学2年生でもプライドはちゃんとある。友達の持っているものが欲しいからと、買った店を聞くなんてみじめったらしいことはできなかった。

しかし、それからしばらくして、私は母親と町へ出た時に全面が透明の傘に出会った、と記憶している。確かオレンジの縁取りがされていて、何の絵がついていたのか覚えていないが、絵柄は全く気に入らなかった。しかし、やっと見つけた透明な傘である。決して逃してはならないと、好きでもない傘を透明だという理由だけで買ってもらった。自慢ではあったが、柄が気に入らない傘は長続きしない。作りも弱くて壊れたのかもしれない。とにかく、何度も繰り返し使ったという記憶はなく、普通の傘にいつの間にか戻っていったようだ。

度肝を抜かれるほど奇抜な発想だったであろう透明なビニール傘は、今では「使い捨て傘」という扱いになるほど巷に出回り、どこででも手に入る最も身近な傘となった。雨が降り出すとスーパーでもコンビニでも店先にビニール傘を並べ、夏の夕立などではあっという間に売り切れてしまったりする。
最近は無色透明か白濁したものばかりが売られているが、私が学生の頃は黄色やピンク、青や緑、黒の透明傘もあった。1本が300円のものと500円のものがあったが、カラフルなものは300円だった。今の雨をしのぐだけの傘に対して300円はまぁ手ごろな価格だったし、どうせならきれいな色がいいとピンクや緑の透明傘を買った。

その「今の雨をしのぐだけの傘」からビニール傘は透明という利点があらゆるところに生きてくる。
例えばスポーツ観戦の時などだ。折り重なる傘が壁のように立ちはだかる球場などで、ビニール傘は圧迫感も少なく、そして何より視界が見通せることは観戦の妨げにあまりならない。
また、小さな子どもがさす傘としてもふさわしい。背の低い幼稚園生や学童くらいの子どもには、一部だけ窓のように透明になっている傘が安心だ。低い目線で目深に傘をさして歩くなんて、目隠しをして歩くようなものだろう。子どもにとってだけでなく、周りの大人にとっても危険だ。全面がビニールになればもっと安心なのに・・・とも思うが、たぶんビニール傘を閉じるとビニールがくっつきすぎて開きにくくなるというデメリットを考えてのことかもしれない。力いっぱい開けようとする行為も、周りには大層危険だろうから。

しかし、ビニール傘は「チープな傘」と揶揄された時代から「使い捨ての傘」そして「便利な傘」という、わりと低めの評価でありながら日本津々浦々に浸透して決着をみたと思っていたら一変、ここ何年かで「配慮の傘」となって来ている。
テレビのリポーターやお天気お姉さんなど、テレビの業界では明るく透明感あるビニール傘をだいぶ昔から使っているが、最近は天皇両陛下も透明なビニール傘を使っていらっしゃるのだ。つい最近まで、雨の日の皇室の傘は黒かったように思う。大きな黒い傘をさして歩かれ、道の両脇で傘を閉じて手を振る国民に挨拶されている様子は、これまでに何度もテレビで目にしたように思う。それが最近、とても上品な趣の透明な傘をさされているのだ。江戸時代に創業し江戸城にも傘を納めていた、ビニール傘の産みの親「ホワイトローズ社」の傘である。
その理由は、雨の中両陛下を一目見たいと集まった人々に、少しでもご自分たちの顔が見えるようにというお考えからだそうだ。
透明であることの良さを、自分たちのメリットとしてではなく、周りへの配慮のお気持ちから使われるまでになったビニール傘の成長と可能性は、最初の風当たりを思うと驚くに値する。

「おしゃれなビニール傘」で検索してみると、実にたくさんの可愛らしい素敵なビニール傘がどっと出てくる。ドロップのような色のカラフルな水玉やカフェっぽいアートなデザイン、アラベスクやストライプ、また骨組みが見えるという特徴を生かし、鳥かごにデザインして鳥をとまらせるなどファンタジーなものまであって目移りしてしまう。
太陽が隠れてしまう雨の日のうす暗さの下で不透明な傘をさして歩くより、中まで明るさが届くビニール傘は、さす人の顔色も明るく爽やかに見せてくれるだろうし、不透明な傘で前方が見えなかった・・・とすれ違う人に迷惑をかけてしまうなんてことも減るだろう。雨粒のキラキラとした輝きも作品に趣を添えるに違いない。

新しい傘を買ったら雨の日が待ち遠しくなるものだ。私の傘ももう十年近く新調していない。今年は久しぶりに一本買いたいと思っている。もちろんビニール傘だ。今年の梅雨はホワイトローズ社の上品な傘をぜひさして、ルンルンと雨の中を歩きたい。

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