来週はもう6月。1年も半分経ったんだ…と突然気付いた。
月が変わるとき、例えば4月だとすると、あー1年も3分の1過ぎたんだなあ…と考える人はどのくらいいるのだろう。私などは4月は4月なだけで、1年のうちどのくらい…という全体から過ぎた月日を考えることはあまりない。今日も「あーもうすぐ6月だ…」と思い、それから「あっ、半年経ったんだ」となり、「へっ?!それって半分過ぎたってこと?」という順番で思考がたまたま進んだだけである。
お財布の中のやりくりはまぁそれなりに考えているけれど、月日はといえばあまり全体から見ず、だらだらと自分が生きていることを改めて感じる。
それって気づいてしまうと結構恐ろしいことである。私の人生は間違いなく半分以上は経ったのだから。
どうしよう、私まだ何もしていないよ…、そんな風に焦る。バタバタ日常生活に追われていたが、もしかしたら早死にしちゃうかも・・・という可能性も考えて人生短めに計算し、今何合目あたりにいるのかな?と、時には皮膚がちりちり、喉がカラカラするほど真剣に現実を見て、毎日を計画的に過ごせばよかったなあと思う。特別人のためになるいいこともしていないし、人生楽しく遊ぶこともあまりしていない・・・。
仕事も同様だ。名を残す立派な人も多い中、私の名などどこにも残っていない。名を残せる器ではないからだが、私の周りには自分の人生を輝かそうと努力している人達が何人もいる。それに比べて私は何をやっているんだ? 焦りと不甲斐なさと志の低さに幻滅するばかりだ。
私は随分狭い世界で生きてきた。専門家と言えば聞こえはいいが、名を残すほどの人間でもないのに専門家などといえるかしら?
その道しか知らずに生きてきたから、せめてとばかり、しがみつくように「専門家」などと偉そうに言っているだけで、いざ社会に出てみると、自分と同じ分野にも素晴らしい人はいくらでもいるし、自分とは全く違う仕事にも本物の専門家が大勢いる。
そんな現実を知ったのは、大人になって自分の専門性で飯が食えるようになってからのことである。それまでずっと下を向いて土の中を掘り進み、巣を作ったところで初めて後ろ足立ちになって、頭を持ち上げ周りを見回してみたプレーリードッグのようである。「井の中の蛙大海を知らず」とは私のことだ。腰を伸ばして見回した世界はものすごく明るくて、広くて、実に多くの素晴らしい仕事と専門家がいることに気づいたのだ。こんな道も、あんな道もある・・・と中学生あるいは高校生のとき知っていたら、もしかすると違う方向へ進んだかもしれないなぁ…と思うほど魅かれる世界がいくつもあった。
例えば、超高層ビルなどを建設するときに見る、ものすごーく高い大型のクレーン車を操る仕事。無茶苦茶カッコイイ。建材が揺れないように揺れを計算しながら、寸分違わぬ正確さでレバーを操作しているおじさんを見ると痺れる…。プロポーズしたくなるほどだから、ちょっと異常だと自分でもわかってるが、そのくらい技術屋に惚れるのだ。
女の私には無理だろうか・・・。今の時代なら腕を磨けばきっとそんな仕事もできるかもしれない。昔は女がする仕事には思えなかったが、どうしてそんな勝手な壁を自分の中でこしらえて世界を狭めたのだろう。世間が私を排除する以前に、自分自身の思い込みが壁を作っていたのだ。
ヘリコプターの操縦士も私には悲鳴ものだ。ホバリングのかっこよさったらもうたまらない。もし隣に誰か人がいたらゲラゲラ笑いながら人の背中をバンバン叩いて狂喜するだろう。サングラスをかけてヘッドホンしてホバリングするなんて、使命感に燃えた男の中の男!って感じだ。
今は衛星ひまわりに役目を譲ったが、昔の気象レーダーは富士山レーダーだった。伊勢湾台風の被害を受けて技術屋がタッグを組み、一番遠い所を見ることができる富士山から、球体の地球を這い上ってくる台風をいち早くレーダーがとらえられるように作られた、日本の技術屋の威信をかけた建設であり、遺産である。
台風のときなどいつも「富士山レーダーを見てみますと…」といった感じでお世話になったレーダーを建設するために、地上からドームの枠組みを山頂まで運んだヘリコプター操縦士の話は私の心をいつも熱く熱くする。何て言ったって、クレーンで機材を運ぶ痺れる仕事と、気象を見極めながら飛ぶヘリコプターの操縦が合体した話なんだから、私にとってはまさに鬼に金棒の「完全ワールド」だ。
ヘリコプターの操縦士、これ以上ない夢の仕事!と確信したが、やはり世界はまだまだ広い。
ある日私はさらに運命的な仕事を知ってしまった。私にとってロイヤル・グランド・エグゼクティブ・プレジデンシャル・スウィート・・・のような空港内の建物で、大好きな飛行機の離着陸を管理する空港管制官という仕事である。初めてそんな職種があると知った時の感覚は「あー、しまった!出遅れた!」というものだった。もう一度人生をやり直しさせて…と本気の気で思うくらい衝撃的な仕事だった。
三度の飯より空が好きなのに、なぜ気づかなかったんだろうと悔やまれてならない。パイロットには女性はなれないがスチュワーデス(当時)にはなれると思ってはいた。しかし私は、乗客の空の旅を快適にしたいのではなく、外国へ行きたいのでもなく、ただ空を見ながら、たくさんの計器を見つつ、あの大きなジャンボ機を自分で操縦し飛ばしたいのだ。それ故に、女の仕事の花形だったスチュワーデスになるという選択は、全く頭に浮かばなかったのである。
だいたい飛行機を実際の目できちんと見たのは大人になってからで、それまで飛行機なんてあまりにも遠い存在だったのだからどうしようもない。私にとって空は宇宙同然であって、夢であって、この世のものではなかったのだ。空自体が現実のものに思えないのに、パイロットやスチュワーデスといった職種に対し、自分の仕事ととして目が向くはずがない。まして滑走路で旗をふり飛行機を誘導する仕事や、管制官なんて仕事があることも知らなかった。
結局、今と違って情報のほとんど入らない昔の田舎で育ち、飛行機を空の彼方に見る機会も、目の前で飛行機を見る機会も、当然乗る機会もないまま育ったせいなのだろう。そしてたとえ耳があっても、目があっても、自分の進む人生に一生懸命で、他の世界は見えず、聞こえずだったのだろう。
「私には夢がある」とはっきり言えた私は、人生を着実に歩いている自信があった。しかし今思うのは、早くから夢を定めて邁進したりせず、いろんな世界を見ておけばよかったということである。自分にはこれしかないと決めてかかったり、自分の優れた部分が自分のたった一つの取り柄だと信じてそれを手離すことを怖がったりせず、いろんな世界を見る経験を沢山しておけばよかったということである。もちろん、私の選択は間違ってはいなかった。私にとって今の仕事はやはり天性のものだと感じるからである。でも、それでも思うのだ。他にやりたいことはなかったのか、と。
人生やり直すことができたとして、今と違った道を探すだろうか。多分それはないだろうと思うし、そうでありたくはない。
でも、あとどのくらいの時間が自分に残されているかわからないが、あんな仕事もいいな、こんな仕事も素敵だなとときめいていたい。そして、そんな自分のささやかな第2、第3の夢を見ながら、少しだけでもその道の知識をかじり、詳しく知りたいと思うのだ。
Boys,be ambitious ! そう子どもには言いたい。思い込みによるえり好みや偏見を持たず、貪欲にいろんな世界を見て、その仕事に従事している自分の姿を想像し、一番ときめく仕事についてほしいと思う。それが一番正直な感覚なんだろうから。
人生折り返しを過ぎ、一刻千金を身に染みて感じ出している私が、1年の折り返しに感じたつぶやきである。