母の日が終わった。世間ではどんな母の日を過ごされたのだろう。
昨日の夕方、最寄り駅にある大手のお花屋さんは、店員がカーネーションを買う人のために最後尾を案内する看板を持ち、赤いテープを張ったポールを立てて列の整理にあたっていた。お母さんの喜ぶ顔を想像して子どもが、夫が並んでいる姿はほほえましかった。
母の日の起源はイギリスにあったそうだが、カーネーションを贈る風習として定着したのはアメリカからだ。今は「母に感謝を伝える日」として定着している母の日だが、そもそもは少し意味合いが違う。当時アメリカには、国内の戦争で夫や子どもを亡くして悲しみに沈む多くの母たちがいた。その社会の陰で悲しみに耐える母の思いを公に出し、戦争をしない「平和宣言」をしたのが母の日なのだ。その先駆者の意思を受け継いで人生をささげたアン・ジャービスがこの世を去った後、娘アンナがさらに母の意思を引き継いで5月の第二日曜日を正式に「母の日」とし、その列席者に母アン・ジャービスが生前好きだった白いカーネーションを配ったことから「母の日」にカーネーションを贈ることが広まったのだという。つまり母の日は、自分を慈しんで育ててくれた母に感謝し、母を悲しませるような戦争が2度とおきない世界を願い、命を大切にすることを誓う日なのだ。奥の深い日である。
普段、自分のために花を買うことはないであろうお母さんが家族から花をもらえれば、それはとても嬉しいはずだ。けれど、花が嬉しいというより、母の日を覚えていてくれたことや、お母さんを思ってお花屋さんへ足を運んでくれたことが何よりお母さんを喜ばせる。だから本当は、きっとどこの家のお母さんも、花はあってもなくてもいいと思っているだろう。特別なセレモニーをする必要もないと私は思う。「おかあさん、いつもありがとう」という心のこもった言葉だけで、お母さんをほっこりとした幸せな気持ちにさせるのに十分な気がする。お母さんって、それだけで幸せになれる人だから。
でも、母の日に花を贈るなら、一番幸せな気持ちになれるのはきっと花を贈る側だろう。だから私も花を贈ってきた。自分の幸せをかみしめるために。それは母を亡くした今、はっきり思うことである。
私は子どものころから、母が生きていることが当たり前と感じたことはなかった。母が死んでしまったのではないかと不安で、夜こっそり母の寝ているそばへ行き、布団がかすかに上下している様子から呼吸しているのを確かめると、安心して自分の部屋に戻る、なんてこともしばしばあった。母が生きている今が夢で、目が覚めたら母がこの世にいない現実に戻るのでは、と妙な感覚になることもあった。だから、母の日に花を贈ったり、何かプレゼントを贈ったりするとき、口には出さなくても「今年が最後かもしれない」と思って来た。何とか無事に生きて翌年を迎えても「今年こそ最後かもしれない」と思った。しかし、最後かも、最後かもと思いながらプレゼントして、ある年をもって本当に最後になった。
亡くなって最初の母の日、「あの年が最後になるとわかっていたら、もっと豪華な素敵な花を贈ったのに」と思った。「これが最後かもしれない」と考えていても、「これが本当に最後になる」と思っていなかったということに初めて気づいたのだ。おかしなものである。あれだけ心配し、あれだけ不安で、自分の寿命を減らして、その分を母にあげてほしいと切に神に祈っていたのに、それでも母は死なないと私は思っていたのだ。死ぬはずがない、と思っていた。医者から見放されてもいたのに、そんなこと思ったこともなかった。母は死ぬわけがなかった。
だが、違った。小さい頃から何度も、悪夢として心のどこかでその日をシミュレーションしてきたことが、そのままの言葉で告げられた時、信じられなかった。たとえ、太陽が西から昇ったと言われても信じられる。しかし母の死はあり得ないことだった。頭では覚悟はしていたが、心は覚悟なんて何もしていなかった。子どものころから、母が生きていることが当たり前と思って自分が生きていたんだと初めて知った。
今年、私は淡いグリーンのカーネーションを母に贈った。世間的には母はもうこの世にいないけれど、母はやはりいる。声は聞こえないし、目を見ることもできないし、触ることもできないけれど、でも母はいる。母の笑顔が見える気がする。だから母に花を贈る。それだけで幸せな日だった。
見返りを求めない愛を注ぎ続けてくれる母に、生きているうちにもっともっと感謝を伝えればよかった。もっともっとできることがあったのに、自分の今の生活に追われて二の次にした部分があったと後悔も多い。
でも、きっと母は私を許してくれていると思う。そしてきっと見ていてくれていると思う。母は生きていてもいなくても、今も私を支え続けてくれている。
母の日、きっと世界中で多くの人が自分のお母さんに思いを伝え、花を贈った一日だったことだろう。本当に素敵な一日だ。
しかしそれより前に、母がどれほど子どもを愛しているかを子として思い起こす日でありたい。「ダニーボーイ」の歌に、私は母としても子としても涙が止まらない。自分を育ててくれた人の愛は永遠であり、海より深い。私はそんな母になれるだろうか、なれているだろうか。
今日は母の祥月命日である。私も天国の母に、自分の命を大切にこれからも精一杯生きていくと宣言する。そして最期の瞬間、伝えることのできなかった言葉を伝えたい。
ありがとう、と。
愛している、と。