最近はブログなどで自宅のインテリアを公開する人が多いようだ。料理というのなら、昔からお料理上手な奥さんが家庭で料理教室を開いたりというのがあったからわかるが、インテリアとなると結構ハードルが高そうに私には感じる。いつもお客さんが来る日のようにきれいに片付けておかなければ写真に撮れないし、そもそもインテリアと言うのは色の勉強や材質の勉強、コーディネート術などなどいろんな要素があって、プロの領域と思っていたからだ。
しかしブログを見てみると、もう雑誌から抜け出したような美しすぎるインテリアのブログもあれば、完璧なインテリアを見せようとしているのではないブログもある。自分の好きなものに囲まれて生活を楽しんでいる、という肩肘はらないブログは自然体で、私などは親近感を覚えるし、どこか自分も取り入れられそうなものがあったらいいなと思って眺めたりする。
子どもがいるか、いないかでも随分変わるようだ。子どもがいなければインテリアは大人な空間でいられるし、お金もかけられる。子どもがいれば、子どものセンスも無視しないで調和を取ろうとするお母さんの優しさが感じられるインテリアになるし、ちょっと奮発して高価なものをひとつ買ってみた、というようなコメントには、同じく子どもを持つ身として「そうだよね、嬉しいよねぇ」と顔も知らない人のその喜びに、一緒になって喜べる。
こんないろんなタイプの素敵なおうちの様子が雑誌社の目に留まって、インテリア本になってたくさん出版されているようだ。これらの本は新築マンションのキッチンやリビングのコーディネートみたいな生活感の全くない写真とは違って、人の暮らしが見える。プロではない主婦たちのこうしたインテリアは、私のような普通の人にも手に届きそうに感じられるところがいい。中にはカリスマ主婦と呼ばれるような人もいて、世の中にはこんな完璧なインテリアを365日キープしている主婦もいるんだ・・・とわが身、我が家を振り返って落ちこむこともあるけれど。
NHKの朝の連続テレビ小説「カーネーション」で、日本の洋服づくりの最先端を行ったコシノ三姉妹とそのお母さんの人生が描かれていたが、今のような「インテリア」というものに日本が目が向けるようになったのはいつごろからなんだろう。
本格的に洋服が定着したのは戦後だとすれば、洋風の家具だって庶民の間では基本的に戦後のはずだ。華族とか社長とかお殿様の末裔とか、よほどのお金持ちでなければ、インテリアにこだわって輸入品の家具をそろえたりなんてできなかっただろうから。
ひと昔、ふた昔前の日本の普通の家でも、洋風のインテリアか日本的なインテリアのどちらかで、特に細かいスタイル区分はなかったように思う。家具は衣類をしまう道具、食器をしまう道具であって、使い勝手がよければそれを大切に使い続けては来ただろうが、インテリアなどという概念はあまりなかったのではないだろうか。
私の実家は、母が嫁入り道具として持ってきた家具は日本的だったが、それ以外はごく普通のものだった。特に「ナチュラル」でも「モダン」でも「カントリー」でも「アジアン」でも「北欧」でも「ジャパニーズ」でもない、「スタンダード」としか言えないようなインテリアである。
こだわりのない、つつましやかな家具に囲まれて暮らしたせいか、「インテリア」という概念は私には全くなかったし、欲求もなかった。しかし大学2年の時、初めて自分が欲しいと思ってインテリアグッズを買った。そのきっかけはセシールのカタログである。まだセシールがカタログ通販を始めてから5,6年の頃だろう。
何かの雑誌にカタログ取り寄せのはがきがついていたのかもしれない。とにかくそのカタログにはテーブルや椅子といった家具や、ベッドカバーや枕カバー、靴下や下着などいろいろなものがお手頃な値段で掲載されていて、眺めているだけで楽しかった。そしてそれが私のインテリアへの興味の目を開かせたのだ。アルバイトをして最初に買ったものは、床に届くスカートが付いたピンクのベッドカバーと枕カバーだった。天蓋こそないが、和室の自分のベッドがいっぺんにお姫様ベッドみたいになって、そこで寝るのが楽しくなったことをよく覚えている。
結婚する頃、いろいろと家具を見て回ったが、インテリアにこだわりのない家で育った反動か、インテリアに対し「夢見る夢子ちゃん」となっていた私は、ピンクのスカートをはいたベッドカバー同様に、猫足インテリアに魅かれた。猫足と言うのはテーブルや椅子の足のラインのことで、上部はふっくらして、中ほどは細くなって、足元はきゅっと外側に曲がって丸くなっている足のデザインのものをいう。ヨーロピアンクラシックでエレガントなスタイルだ。例えばカリモクの猫足ダイニングテーブルと猫足椅子のセット、照明はカットガラスの玉がぷらぷら下がるシャンデリア、といった具合だ。
今のマンションへ引っ越すときは、大塚家具の有明ショールームまでひとりで何度となく足を運び、カーテンとソファを買った。何枚も写真を撮らせてもらって、他の店にもあちこち通って、選び抜いて買ったソファは、我が家の一か月の給料が飛ぶくらいの値段の正統派クラシックなアメリカのものだった。
その後、バリに旅をすればアジアンテイストのインテリアに魅力を感じ、ホテルのようなベージュと茶色だけのシンプルで大人なインテリアに魅力を感じて、今はジャパニーズモダンとモノトーンの折衷にある。行ってないインテリアの世界はカントリースタイルとスタンダードぐらいじゃないだろうか。
こんなにころころといいと思えるテイストが変わるのはインテリアに関心があるからで、昔の私なら何も感じなかっただろうと思うと、セシールのカタログで初めて買った、あのベッドカバーがそのきっかけになったんだなあと懐かしい。
しかし、装飾性の高いものから、無駄な飾りを削ぎ落した禅のようなシンプルなインテリアが好きになっていったのは、年のせいだろうか。バラやパンジーをベランダで育てたがっていた当時とはうってかわり、今では竹やもみじを育てたいくらいだ。結局まわりまわってインテリアの旅をして、たどり着いた先は日本らしい空間だったという感じである。
とはいっても、柳宗悦には申訳ないが民芸調なものはあまり好みではないし、伝統工芸が前面にあふれてくる純日本というのでもない。例えば、スタンダードな空間に日本の美がそこかしこに散りばめられている日本のホテルのような空間がいい。ティッシュケース、ゴミ箱という小物が日本的だったり、カーテンの代わりに障子風なブラインドが、フロアスタンドが和紙であるとか、ベッドカバーがさりげなく生成りの縮緬だったりと、そこはかとなく日本らしさが見え隠れする、そのくらいの塩梅が私の好きなインテリアの日本度である。
この控えめで整然とした日本のインテリアで、私がいつか是非とも我が家に来てほしいと思っているブランドがある。私がジャパニーズモダンなインテリアにはまった最初のきっかけでもあるそのブランドは、九州福岡の「大川組子」である。のだめカンタービレの主人公の野田恵の故郷だね。
この大川組子、見た目は本当に繊細で、小さなパーツを組み合わせて大きな作品に作り上げていくのだが、このパーツのひとつひとつの木材が0.01ミリ違ってもピタリとはまらないし、逆にはまったら強度は高くしっかりとした芸術品になるというもののようだ。
私が最初に大川組子を知ったのはテレビである。物を知らない私は、それまで「大川組子」という名前も知らなかったが、見た瞬間から惚れ込んだ。こんなに美しいものがもし家にあって、いつも目にすることができたら、自分が日本人であること、これが日本人の職人によって作られていることをきっと毎日誇りに思うだろう。なかなかいいお値段がするので私には簡単に手に入らない。が、何年も目の奥にその美しさを温めながら、いつか・・・と思っている。
大川組子を知ってからというもの、日本的なものが目につくようになった。そして、よほど気に入るまでは購入しないということも覚えた。自分の一番好きなインテリアは禅のようにシンプルで、大川組子のような物の素敵さが目に留まるくらいの静かな空間であることを自覚したからだ。だから、どんなに素敵だ!と見た瞬間思う品があっても、いつか大川組子がやってきたときに似合うかしら?と思って、「否」と判断すると頭からその商品を消し去るように努力しているし、それができるようになったのも大川組子のおかげだ。
そんな中、最近欲しいと思って、いつもに比べれば衝動買いしてしまったものがある。ディノスの「ブルームバスケット」である。きっと大川組子がやって来ても、それほど食い違わないだろうと判断して買ったものだ。
これは果物かごである。しかし普通の果物かごではなく、使いたい時にふわっと開き、使わない時もふわっと閉じることができるというものだ。そしてそのデザインがまるで和傘のよう。開いても閉じても非常に日本的である。ジャパニーズモダン、というのだろうか。北欧インテリアにも合うだろう。
我が家はこれをちょっとした置物感覚でリビングに置いている。閉じて置いていても、まるで照明のようだし、開いてバナナやりんご、お菓子などを置いてもサマになる。最近買った台所関連の品のなかで、我が家のキッチン事情にもぴったりのピカイチだ。
もともと私のキッチンはたいへん狭く、果物かごなんて置くスペースはない。I型の独立キッチンで、背面は食器棚と炊飯器や電子レンジを置く台と冷蔵庫でふさがってしまうし、キッチンはシンクは大きいものの、調理台はまな板がようやっと置ける幅の一面しかなく、食卓のテーブルはキッチンから離れていて配膳には使えない。そのため、切るのも、合わせるのも、盛り付けるのも、その一面で行わなければならない。何一つキッチンに置かなくても、どんなにすっきりさせても、場所がそもそもないのだ。
果物かごも一応、籐製のものがあるにはあるのだが、果物が盛ってあってもキッチンに置く場所はなく、果物やパンが無い時はただの無用の籠だ。かといってかごを持たずにその辺に果物を転がしておく、というわけにもいかず、籐製の籠を持ってうろうろ、もう頭に被っていようか・・・と思うほどだった。そんな私にうってつけの、便利さと美しさを兼ね備えるこの「ブルームバスケット」が、今のところ、大川組子の代償満足させてくれるものである。
本当に自分が好きなものだけを周りにおいて暮らすことは、家族が多ければますます難しくなるだろう。でも「いつか・・・」と夢見るだけでも楽しいものだ。何年もかけてちょっとずつ自分の家を作っていくというログハウスの家に住む人の話を聞いて、「家を育てる」という楽しみもあるんだなあと、私もだんだんわかりつつある。
でもね、私はちょっとせっかち。結構せっかち。早く大川組子が欲しい・・・。ブルームバスケットを毎日見ながらそんなことを思っている。