東京で「勉強カフェ」が静かなブームになりつつあるという。勉強カフェとは、仕事帰りに立ち寄って、勉強を気兼ねなくできる空間を提供するラウンジである。図書館はもう閉館しているし、喫茶店などでは店員の目が気になるし、家では落ち着かないしという人が、小さくかかるBGMのラウンジでコーヒーを飲みながら落ち着いて勉強ができる場所だなんて、ちょっとアーバンな空間だ。
誰でも自分だけの部屋は欲しいものだろう。寝室は夫婦で使っても、余暇は自分の部屋で趣味にしろ勉強にしろ、没頭できる静かな空間が欲しいと思うのは男女ともおなじだとは思うが、特に男の方がその傾向は強いようなイメージが私にはある。
私の弟は小さい頃、外で遊ばないときは一人でずっとブツブツ言いながら、膝をついてミニカーを畳で走らせていた。
「発進せよ!」
「了解!」
ブーン・・・キキ―ッ!
「何がありましたか?」
「事故です!!」
ピーポーピーポー!・・・
1人で延々と小さい声でブツブツ言いながらミニカーだの、飛行機だので遊んでいる。畳の縁は道であり、所々にブロックの橋が架かり、おもちゃのプラレールの遮断機もある。押入れはまるでアラビアンナイトのよう。開けゴマ~!ではないが、重々しい声で押入れをしずしずと開けると、布団の間にプラレールのトンネルをはさみこみ、出動を待っていたヘリコプターがエアウルフさながらに出てきて救助に向かう。
女の子の「一人おままごと」と同じようなものだが、来る日も来る日もそうやって畳を走らせ、勉強をしている私の足もいつの間にかロータリーになる。坂道だと言って私の足をミニカーが這いのぼる。本人は自分一人の世界に入り込んで、周りが見えないのだ。弟は私と遊んでいるのではないし、私の足だと思ってもいない。ただロータリーにふさわしいモノであり、坂なのだ。
こうやって一人ブツブツ言って遊んでいる弟を笑いながら私は見ていたが、這い上ってみたら私と目があってびっくり、なんていうこの集中力は我が子を見ていても同様で、男の子のほうが女の子より勝っているように感じる。秘密基地を作って遊んできた男の子が大人になり、誰にも邪魔されないで自分の時間を過ごしたいというのは、ごく自然のような気がするのだ。もちろん女もそういう欲求があるのは変わらないが、セカンドハウスを持ちたげるのも男の方が強い気がする。
都会の住宅事情では子どもに部屋を占領され、お父さんが落ちついて遊んだり勉強できる部屋が無いのはどこのお宅でもよくある話だろう。勉強カフェは遊ぶことはできなくても、仕事のスキルアップのために、退職後の未来のために、仕事から家に帰る前に立ち寄って自分を取り戻すその数時間は、勉強とはいえ、きっと素敵なリフレッシュの時間になるだろうと想像する。
私もマンション暮らしを始める前は、家に夢があった。大きなアイランドキッチン、さわさわと木の葉の音が聞こえる縁側、ピアノの部屋、そして図書室だ。
家じゅうの本を全て集め、本箱にぐるりと囲まれた部屋の中央に、ダイニングくらいの大きめのテーブルを置く。窓から緑が目に入って、そこで本を読んだり、パソコンをしたりする場所。そんな部屋を玄関の近くに作って、子どもの友達が遊びに来たとき、ついでに本も借りて帰る・・・なんて想像をしたのだ。
この私の憧れは、実は小学校の頃からあったものだ。図書委員の仕事をしたとき、その楽しさに目覚めてしまったのだ。そして自分の家でもそんなことがしたいと思って、近くに住む友達数人とそれぞれの家の本箱の本を借り合う「図書館ごっこ」をした。ちゃんと図書カードも作って、借りたらスタンプカードに可愛いシールを貼る。10冊借りたらお菓子をプレゼント、みたいなおまけ付きの遊びだった。
残念ながら、あっという間にその遊びは自然消滅した。私の家には本がたくさんあったが、私の本は図書館にもあるような「小公女」「小公子」「赤毛のアン」「若草物語」「青い目のポリー」など児童文学と呼ばれるような本で、母の持っていた本は「世界文学全集」という分厚くて字が小さくて二段に分かれて書いてあるお堅い本ばかりだったし、まわりの友達はマーガレットやなかよし、フレンドみたいな雑誌のマンガで、漫画を貸りたい友達は互いが持っている漫画だから借り合う必要もないし、私の本はつまらないということで、借りたい本が無かったからだ。
結局すぐになくなった「図書館ごっこ」だったが、そのアイデアにすごくワクワクしたその時の記憶だけは未だに鮮明で、それが「図書室」へのあこがれとなったのである。
マンションでは大きなアイランドキッチンは無理だし、さわさわと木の葉の音が聞こえる縁側も無理だ。ピアノは物置と化したような部屋で、図書室なんて夢のまた夢である。しかし、ゆったりとするだけでなく、自分を向上させるために、自分を耕すために、こういうシステムを利用して努力するのも悪くない。
家族との時間も大事。でも一人の時間も大事だと子どもが小さいときは特に切実に思った。24時間かたときも子どもと離れていないお母さんは、自分のスピードで道を歩くこともできない。子どもがいくら自分の命だと言っても、知らず知らずであっても、ストレスは確実にかかっている。あのころ、私も夫婦で曜日を決めてかわりばんこに息抜きする空間、将来の自分のために何かを勉強する時間を持つことができていたらよかったなあ・・・と今思っている。渦中から離れてみて初めて気がついたことではあるが。
勉強カフェはジムと同じように会員制で、マイロッカーを作って常に荷物を預けておくこともできるようだ。ビジターでもいいというので一度覗いてみたいなと思っている。