西のちまき、東の柏餅

私が家族で関西から東京へやってきたのはもう30年以上前になる。当時はどんなことでも西は西、東は東、と今よりは違いがはっきりとあって、食べ物でも手に入らないものは多々あった。特に台所を預かる母は苦労したことも多かっただろうと今になって思う。

例えば、今は東京でも手に入る「菜花」。お正月やひな祭りなど、春の訪れを味覚で味わいたい、演出したいときに花のつぼみ部分だけ使われるが、30年前は東京では知る人はまずいなかった。
私の故郷は「なばなを食用生産した最初の地」で、畑はもちろん、こぼれ種から線路沿いの道、あぜ道、どこにでも生えて、春になると土のにおいと一緒に菜の花の香りで町中がいっぱいになる。どこででも摘めるほど咲いている食用の菜の花であるので、菜花の味噌汁、菜花のお浸しやサラダ、菜花の酢味噌あえ、菜花の炒め物、菜花の辛子醤油和えなど、菜花のない春は考えられなかったが、東京では一切口にすることができなかった。数年経って、東京のスーパーで私の故郷の名前が入った菜花を見た時は、驚きと懐かしさと共に、「でかした!ようやった!」と東京進出を祝う気持ちで万歳ものだったことを覚えている。
他にも牛肉、うどんつゆ、味噌など、文化の違いはあったが、それは探せばどこかで買うことができたり、自分で作れば済むものだったが、これだけはどうしても困る、というものがあった。それは五月五日の節句の「ちまき」である。

東京は五月の端午の節句に柏餅を食べるが、西ではちまきである。私は西にいた頃、柏餅を端午の節句に食べたことは一度もない。細長ーい涙型のういろうが二枚の笹の葉でくるまれて、いぐさでグルグルと縛られているものが3、5本ほどまとめられて売っているちまきが、私の食べてきた五月のちまきだ。

東京へ来てから30数年経ち、やっとちまきを買えるようになってきたが、それでも未だに探すのには苦労する。柏餅ばかり並んで、ちまきを扱う店は少なく、仕入れの数も多くないからだ。
30年前は、柏餅がズラッと並ぶ和菓子店でちまきを頼むと「ちまき?ちまきって何ですか?おこわのちまきですか?」と聞かれたときもあった。またある年は「ちまきは知ってますが、東京のものではないですよ。たまに物産展とかで売られますが」と笹団子と間違われたこともある。またある年は「ちまき、ありますよ」そういわれて、あーここでなら買えるんだ!と大喜びして買って帰ると、形はちまきなのだが、ういろうではなく、もち米の餅で、中にあんこまで入っていた。またある年は、ちまきがあると言われても「中にあんことか入ってない白いだけのちまきですよね?」と念押しして「そうです、あんこは入っていません。入っているのはこっちですが・・・」と言われて、あんこの入っていない方を選んで買ってきても、中を開けるとそれは葛でできた半透明の「水仙ちまき」だった。
私の言う「ちまき」はういろうちまきで、ごく普通の、ごく当たり前の、ただのちまきのはずなのに、どんどん条件の厳しい、気難しいちまきのようになって、翌年もまたお店で聞くのだ。「あんこ入っていないですよね?ただの白いお餅とか葛じゃないですよね?」そう確認すると「黒糖入りです。こっちは味噌が入っています。こっちはあんこの物ですが」と言われた。あぁ、もう駄目だ・・・そんな思いで「ふつうのちまきはないですか?ういろうの」と、たまらなくなって聞くと「普通と言うのがわかりませんが、こちらではこれが普通だと思います」と言われ、「こういうのじゃなくて、ういろうちまきというのは・・・」と、私が求めているちまきの説明しても、ない物はないのだからどうにもならない。

ここ10年くらいではないだろうか、私が白いういろうのちまきを買うことができるようになったのは。やっと東京で私の探すちまきに出会えた時は5本で2000円ほどした。とにかくびっくりするほど高かったが、もうこれでダメだったら東京でちまきを探すのはやめよう、今年が最後だ、そう思ってお店の人にどーせないんでしょ・・・という投げやりな気持ちで、しかし希望をかすかに持って聞いたのだ。

「葛の半透明のものじゃなく、白いので、中にあんこも、味噌も、黒糖も入っていない、甘いぷるるんとしたちまきですか?」
「白いのですよね。半透明のじゃなくて。中に何も入ってないタイプですよね。そうです、普通の白いだけのちまきですよ、これは」
「あ、でも、白いって言ってもお餅じゃないですよ、ぼってりじゃなく、ぷるるんとしたういろうです。白いういろうで、中になーんにも入ってないタイプのちまきですか?」
「そうですね。ういろうです。柏餅みたいなのじゃないですよ」

おおっ、柏餅みたいなのじゃない!これぞちまきだ!今度こそちまきだ!そう思って2000円ほどするちまきを買ったのである。
今でもちまきを買うときは、熱心に必ず尋ねる。「葛ではないか」「お餅じゃないか」「白いういろうか」「中は何も入っていないか」。喜び、裏切られ、喜び、裏切られを繰り返してきた分だけ修飾語をが増えてしまったが、そうやって確認すればなんとか買うことができる。でも、まだどこででも買えるわけではない。相変わらず店は「柏餅」のケースの山である。

しかし、ヘンだよね。童謡の「せいくらべ」は日本全国で知られているはず。
柱の傷はおととしの 五月五日のせいくらべ
ちまき食べ食べ兄さんが 計ってくれたせいの丈・・・

この童謡の作詞は海野厚という人で、静岡県の中央部の静岡市の出身である。この詩は自分の小さい弟を思って書いたと言われることから、海野の静岡県では端午の節句に「ちまき」を食べることは想像できるが、どんなちまきだったのだろう。
静岡の藤枝市には朝比奈氏が今川義元にも献上したという「朝比奈粽」なるものがあるそうだ。植物の灰汁で米を湿らせたもので餅を作って笹で巻いた保存食だそうだが、このちまきを食べると、どんな戦いでも負け知らずだったとか。形は三角で、麩まんじゅうのような形である。藤枝市は海野厚の故郷である静岡市の隣りである。

この詩を受けて作曲した中山晋平は、長野県の新潟に近い中野市出身だ。海野のこの詩を読んだ中山晋平は、五月五日に「ちまき」を食べることについてどう思ったのだろう。どんなちまきを想像したのだろう。
中山晋平の故郷から千曲川沿いに下ると新潟長岡だ。ここには餅米を蒸して作ったものを笹の葉で三角に巻いた「三角ちまき」という伝統的なちまきがある。黄な粉をつけて食べるのだそうだ。
私は「せいくらべ」の歌のちまきは紡錘型のちまきだと思って来た。それしか端午の節句のちまきは知らなかったからだが、もしかするとこの歌のちまきは、私が思い描いているちまきではなく、三角ちまきのことなのかもしれない。
雑煮に入れるお餅は四角いお餅か丸餅かのように、いったいどこでちまきと柏餅に文化は分かれるのだろう。国境がどこなのか、知りたいところである。

歴史で見ると、柏餅よりちまきの方が古いようだ。関西のちまきは奈良時代に中国から伝わり、黄な粉などをまぶして食べたとある。当時の都は京都や奈良なのでちまきは関西で広がったが、朝比奈粽はそのレシピ通りに作られたようだ。そのちまきを京都の和菓子屋が餅に砂糖を加えてつくったのが今のちまきの元のようで、それらを天皇に献上されたことから京都の「御所ちまき」と呼ばれるらしいが、他に羊羹ちまきや葛の水仙ちまきなどもやはりあるようだ。
笹は香りが良く、防腐の役目もあり、すくすく育つ笹の生態もあって五月の節句にちまきが食べられたそうだが、関西には柏がほとんど自生していないということも理由としてあるという。

対して柏餅は、柏が昔から神聖な木ともされ、葉が落ちる前に新芽が出ていることから「子孫に恵まれる」「家系が絶えない」という縁起のいい木とも言われる。その縁起かつぎから、江戸時代に武家社会である江戸で誕生したお菓子であるそうだ。また柏の木は東日本に多いということも理由にあるようである。

節分の恵方巻も、もともとは大阪の風習が東京にも伝わったものだ。きっとテレビのおかげだろう。今では節分になると、それまでそんな風習のなかった家庭でも、節分の恵方巻を家族でその年の恵方を向いて無言でかぶりついているかもしれない。海鮮巻などはお値段も高いし、太いし、これをみんなが黙って日本中の家庭でかぶりつくなんて、外国の人から見たら、ちょっとびっくりする光景じゃないだろうか。
それに比べれば、端午の節句のちまきは香りもいいし食べやすい。東西の文化の融合を図るなら、ちまきも今以上に東京でも買いやすくなってくれたらと思う。

もうすぐ五月、ちまきのシーズンだ。今年はネット検索して、一度ちまきを手作りしてみようかな・・・

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