クールジャパン!南部鉄器への憧れ

今、日本の南部鉄器の鉄瓶が世界でブームのようだ。私が最初にそのニュースを知ったのは2年ほど前だから、もうだいぶ前から世界ではブームだったのだろう。たしか、ステンレスが一般的になり、それまでどこの家庭でも使われていた鉄器が姿を消しつつある今、鉄器の本場の南部鉄器でも規模を縮小していかざるを得ない中、海外に活路を見出した会社があるというような話だった。

フランスから色を付けた鉄瓶の注文がお茶メーカーから来たのが世界でブームになったきっかけだそうだ。私は聞きかじりなので、詳しいことは詳しい人に聞くしかないが、とにかく私の中で鉄瓶とは「ぶんぶくちゃがま」のイメージのとおり、黒くて大仏様の頭みたいなポツポツがついている重そうなものだった。それがフランスに輸出したものを見てみると、赤や青やピンクなど様々な色が付けられた可愛い鉄瓶ではないか。小さなパーティーバッグみたいでもある。色合いもいい。少しくすんだマットな色合いで、カラフルだけどシック、カラフルだけど日本的である。
フランスでは、この南部鉄器のカラフルな鉄ポットがレストランはもちろん、日本の文化を好む人たちの間で大流行となっているというのだ。19世紀後半のパリを中心に美術界で大流行した、あのジャポニズムの再来なのだろうか。あの時も今も、日本の文化の良さを発掘した場所はパリだったというところが、さすが芸術の都である。

そんな外国人に比べ、自分は日本人のくせに日本の文化について何も勉強してこなかったなあ、と最近つくづく思う。女性なら茶道や華道のたしなみがあっても良かったのに、食い意地が張っていたのか料理には興味があっても、そこらへんは流してきた。大学では茶道部もあったし華道部もあった。三味線やお琴のサークルもあった。しかし、茶道部の友人に「茶道を体験しにくると100円でお茶と和菓子が出るよ」と文化祭でアピールされれば、それ目当てに覗いたくらいで、特に興味も持たなかった。

その点、私の子どもは小さい時からちょっと変わっている。津軽三味線が好きで、枯山水がいいと言うのだ。やっと最近、私は日本的な良さを家に取り込もうとしているというのに、何年か前に二人で岐阜を旅行した時、お茶屋さんのような外観の素敵な花屋にふらりと入ると、子どもは苔玉を熱心に眺めている。苔玉の美にようやく心惹かれるようになっていた私は、一緒になってこれがいいかな、あれがいいかなと見繕っていると、「こっちには白い皿が合うけど、こっちは黒い皿が合う気がする・・・」と意見までし、結局子どもの言う「バランスがいい」という苔玉とそれに最も合うという皿の組み合わせで購入した。
「若い人も好きな人は多いですが、彼、今いくつです?渋いですね」とお店の人にも言われたくらい渋い趣味である。当時中学2年生だった。
私が若い頃は洋風なものにばかり目がいき、日本的なものの良さは「懐かしい」「情緒がある」とは思っても、自分の身の回りに置いておきたいとは思わなかった。バラの咲き乱れる庭に憧れても、子どものように「石庭がいい」などとは全く思わなかった。この違いは何だろう。新しいものに触れすぎた今の年代には、欧米に対して壁だけでなく憧れも抱かないのかもしれない。こんな先進的な時代に小さい頃から生きていると、日本的なものに魅かれるというサイクルにはまるのだろうか、ジャポニズムに沸いた当時の欧米のように。

とにかくこの南部鉄器の色付き鉄瓶、海外で大人気になっただけでなく、それが本国日本に逆輸入されて、日本でも懐古趣味の人だけでなく幅広い人たちに人気の商品になっているという。
私も本場日本の女、ちょっと遅ればせではあるが日本の良さを家の中にさりげなく取り入れた生活をしてみたいと思い始めていたわけだし、ここはさらにレベルアップして、このブームに乗り新しいカラフルな鉄瓶を使ってみたい。鉄分補給にもなるしね。

しかし、世界で大注目の南部鉄器「岩鋳」のカラー鉄瓶は、いわゆる私が考えていた鉄瓶ではなかった。どこを調べても「南部鉄器『岩鋳』のカラー鉄瓶 世界で大流行!」みたいなタイトルなので、湯を沸かすための鉄瓶が流行したのだと思ったが、実は表面は鉄瓶であっても、中はホーロー仕上げになっている鉄急須だったのだ。鉄瓶の風合いとか日本的な美を好む人たちに、侘び寂びをモダンに醸し出す「ティーポット」として受け入れられたのかもしれない。しかし本物の鉄瓶だったら、こんなに受け入れられただろうか。

鉄器の良さはやはり、それで湯を沸かしたり調理すると鉄分が染み出して鉄分不足が解消されたり、角がとれて水もまろやかに美味しくなるところだろう。
去年の年末、ヒジキの鉄分についてニュースになったことがあった。ヒジキは鉄分の豊富な食べ物だと言って、昔から妊婦さんに勧められたりしていたが、あれはヒジキに鉄分があったのではなくて、昔はみんな鉄鍋で作っていたから鉄分が豊富だっただけなんだ、という話である。食品成分表を出しているところがデータを昔のまま使っていたそうで、調理器具がほとんどステンレスになった今の鉄分量は、当時の1/9だというのだ。これには本当に驚いた。ヒジキの黒さが鉄分の豊富なイメージも感じさせていたのに、ただ黒かっただけなのか・・・と私のヒジキの格の下がりようは甚だしかった。
しかし同時に、鉄鍋の威力がどれほどのものか、ヒジキの驚きの事実から広く知られるようになった。切り干し大根でもきんぴらでも、鉄鍋で作れば全て「鉄分豊富」な食べ物になれるわけね。体質的に貧血の人やダイエットで貧血気味とか、みんなヒジキ、ヒジキと食べていただろうに。

こんなにいい鉄器だけど、やっぱり長所と短所は表裏一体、お手入れを怠って放置すると錆びるのがネックだ。鉄瓶にしたって、侘び寂びだなんてダジャレで済むことではない。侘びを感じているより先に赤茶色の錆がすぐに付いてしまう。
私は鉄瓶を使ったことはないが、鉄のフライパンや中華鍋、玉子焼き器は実家にいた頃に毎日使っていた。以前に書いた包丁の時と同じで、結婚して初めて、夫が持ってきたテフロン加工のフライパンに出会った。テフロンの扱い方を知らなかった私は、そのテフロンをもうもうと白い煙が立つまで空だきし、それからサラダ油を少量注いで、鉄のフライ返しを使って炒め物などをしたので、すぐにそのフライパンはダメになった。仕方がないよ、テフロンなんて生まれて初めてだったし、自分が今まで使っていた鉄物はそうやってよーく空だきをし、使い終わってもまたカンカンに熱して空だきしないとダメだったから。

鉄物は多少のサビがついても完全にこすりとったりしなくてもよかったが、あまりひどいと料理の色にも多少影響するので、錆びさせないようにするのも大事な手入れだった。フライパンや玉子焼き器は毎日のように使っていたので、使い終わったら空だきして、冷めたらしまうだけだったが、中華鍋は天ぷらやフライ、チャーハンなどの時しか使わないので、ちゃんと空だきしても、一滴でもどこからか水滴が落ちてそのままだったりすると、次に中華鍋を取り出した時には錆びていた。それで、錆びを落したばかりの中華鍋だけは、空だきした後にサラダオイルをほんの少量入れ、ティッシュなどで薄く塗ってしまった。
鉄器の扱いには慣れていた私は、鉄と違って油をひかなくても焦げ付かないんだと教える夫に、鉄器だって使い込んだ黒光りするものなら油が浸み込んでいてそんなに焦げ付かないと張り合った。しかし洋包丁の時と同じで、なにやら魔法のようにクルクル目玉焼きが回るフライパンが面白く、楽しくなって使っているうちにテフロンに慣れてしまった。そして、「鉄器ブームが来てる!」「タークがいい!」と言われても、油がなじむまでは見事にくっつくし、何より錆びるしなあと・・・と二の足を踏むまでになってしまったのだ。
それでもヒジキのニュースを聞いてからは、やはり鉄器の生活に一部だけでも戻ってみようかなと考えている。

今までも「水の味」にこだわりたい人や「健康志向」から鉄器を支持する人はいただろうが、これに加えて「ひと手間をかける日常の暮らしへのあこがれ」の流れから、新しく鉄器の良さを知った私のような一年生がこれからもたくさん現れてくるだろう。
鉄瓶と鉄急須の相性や、飲みものと鉄器の水との相性などもあるようなので、いろいろ勉強してから購入したい。そして鉄とお茶の文化だけでなく、少しは日本の文化が外国人に教えられる日本人になりたいなあ。4年後には東京オリンピックもあるんだし・・・。

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