電気ケトルと魔法瓶の思い出

私の母の子どもの頃は火鉢で暖をとったという。火鉢と言うと何だかだいぶ昔のイメージがあった私は、戦後間もない母の時代でもまだ火鉢だったんだ・・・と少し驚いた。

「丸火鉢に鉄瓶をかけてお湯を沸かして、その湯でお茶を入れたよ」と聞き、私は火鉢の上で黒い鉄瓶がしゅんしゅんと音をたてている静かな部屋が目に浮かんだ。風情というのだろうか。母の話は、情緒あふれる部屋の景色までも見えるようだった。

昭和は私にとって、今の平成の世よりずっと絵になる時代だ。大正、その昔の明治となると、私には昔過ぎる。昭和は「昔に比べたらちょっと便利、でも今に比べたらちょっと不便」、そんな自分にとって身近な曖昧さがあって、それが懐古的な魅力となって惹きつけるのかもしれない。

子どもだった自分の、身の回りにあった昭和のモノといえば、アルマイトの弁当箱や湯たんぽ、セルロイドの筆箱、紙せっけんなどで、品はもちろんのこと、その響きまでもが懐かしい。まあ、それは自分の使った物であるから当然だ。しかし火鉢の時代に生きていたわけではないのに、その頃の風景まで「懐かしい」と感じるのはなぜだろう。「あー昭和っていいなあ」としみじみ思う。

私が小学生の頃は、お湯はコンロか石油ストーブの上で沸かした。くすんだ金色のアルマイトのやかんでお湯を沸かすと、湯気と一緒に蓋がカタカタと軽い音をたてて湯が沸騰したことを知らせてくれた。すると母は肘を高く上げてやかんを持ち上げ、湯気をもうもうさせながら熱湯を魔法瓶に注いだ。白くて大きな魔法瓶で、たしか赤いアネモネかバラの花束が胴に描いてあったような気がする。背が足りない小学生には、この作業のお手伝いは危険であったが、母のすることを見ていた記憶は残っている。「危ないからどいていなさい、熱いよ」と言われて、ちょっとだけ離れて見上げていると、みるみるうちにお湯を注いでいる母の顔はもうもうとした湯気の向こうに隠れてしまい、魔法瓶の中栓をクルクル回して閉めると、まるでお月様が雲から顔を出したみたいに母の顔が現れた。何てことのない光景なのに、そんなことをよく覚えている。急須にお湯を注ぐときは、重い魔法瓶を持ち上げて傾けた。そして茶葉が開くのをゆっくり待ってから、急須の取っ手を持ち、蓋に軽く手を添えて湯のみにお茶を注いだ。鉄瓶の時代には及ばなくても、その所作は美しかった。

中学生の頃の我が家の魔法瓶は、上部の中央部分を押すと空気圧でお湯が出てくるエアーポットだった。これは本当に画期的だった。熱湯を魔法瓶に注ぐことは変わらなかったが、以前のように重たい魔法瓶を傾ける必要はなくなったのだから。押して湯が出るその魔法瓶で急須にお湯を初めて注いだときは「へえー、進んでるう~」とびっくりしたことを覚えている。

小学校高学年にもなれば身長も伸びて、自分で魔法瓶に熱湯を注ぐことができたが、立ち昇る湯気を顔に当てると、蒸しタオルを顔に当てたように気持ちよかったし、魔法瓶の蓋を閉じると蒸しタオルを外した後のようにすっきりと爽快で、この作業が結構好きだった。

描かれている花も、それまでの派手な色の花束から、淡く優しい色合いのスイートピーの花に変わって上品に見えた。しかし、お湯を急須に注ぐ姿はというと、以前に比べたらあまり上品ではなくなった。左手で急須の取っ手を魔法瓶の注ぎ口まで持ち上げ、右の手首で魔法瓶の上部を力をかけて何度か押す様子は、お茶の入れる所作を少々がさつにしたように思う。まだポンプの力が弱かったのだろう。湯の量によって今のものよりずっと押す力が必要だったし、魔法瓶の口がペンギンの口のように短かったせいもある。

高校生の頃になると我が家の魔法瓶にコンセントが付いた。これによって、ポットには熱湯の代わりに水を入れ、電気でお湯を沸かすようになったし、保温機能が付いたので、魔法瓶ではなく「電気ポット」になった。

これも画期的だった。危険な思いもしないで済むようになったが、結果、やかんが必需品ではなくなったからだ。あれをきっかけに、ポットは私にとって「昭和」ではなくなったように感じる。もうもうとした湯気が立ち昇らないポットなんて、私には情緒が無さすぎるからだ。

しかし、保温機能は便利だった。魔法瓶の時は時間がたてば、どうしても少しずつ冷めていったが、電気ポットはいつでも熱いお湯が出るのだから。そしてペンギンの口のように短かったポットの口は、だんだん下へ伸びて鼻のようになり、それまでスリムで背の高かったポットは低くなって、何やらどっしりとしたモアイ像のような表情になった。見てくれはちょっとモッサリしていて私の好みではなかったし、湯気がもうもうしないところも残念だったが、しかしそのおかげで急須を持ち上げる必要がなくなり、背が低くなったことでポンプを押しやすくなったし、ポンプの力そのものも強くなったためか、お湯を急須に注ぐ所作がおとなしくなった。

私が結婚する頃は、今ほど省エネも進んでいなかったが、それでもとても使い勝手のいい電気ポットになっていた。しかし、その頃になると2Lのペットボトルのお茶が売られるようになり、急須でお茶を淹れなくても簡単にお茶が飲めるようにもなった。

そうなると、その時期から我が家は、あれほど毎日お世話になっていた電気ポットを全く使わなくなってしまった。来客でもない限りは、普段ペットボトルの冷たいお茶を飲むようになり、温かいお茶が飲みたければペットボトルのお茶を電子レンジで温めて飲めばよくなったからだ。急須のお茶と違ってペットボトルのお茶は、味はともかくいつも均一で、茶殻の始末もせずに済み、便利なことこの上なかった。

しかし笛吹ケトルだけはあって、冬は加湿器代わりに石油ストーブの上にかけた。冬に温かい飲み物が欲しい時はそのお湯か、あるいはミルクパンに水を入れてコンロで沸かせば、いつの季節でも事足りてしまう。昔は冷たいお茶というのは夏の麦茶だけで、それ以外はいつも熱いお茶だったことを思うと、随分現代的なお茶の飲み方になってしまった。そうして全く使わなくなった我が家の電気ポットはついに捨てられたのである。

それから何年か経って子どもが生まれると、ミルクをつくるのにやっぱり保温できるポットが欲しいなあと思った。なくなると欲しくなるなんてマーフィーの法則と言うのか、いや、ただのわがままだろう。でも、まだ十分に母乳の出なかった頃は、子どもも頻繁に夜に泣き、その都度電子レンジでお湯を温めてミルクを作るより、常に保温できている湯でミルクをつくることのできる電気ポットは、母親の体力温存にとって必需品だった。夫はそれに気づくとすぐさま、ミルクに最適な温度に保温してくれる設定が付いた小さな電気ポットをベビー用品売り場で買ってきてくれた。

こうして、育児の真っ最中も一般の電気ポットは買わずに乗り越えた我が家だったが、世の中はペットボトルのリサイクルやゴミの問題が以前に増して大きくクローズアップされる時代になってきた。リサイクルすることや、昔の生活の良さを見直して今の生活に取り入れるのがおしゃれで都会的な生活のようにもなり始め、私たちもそれまでのペットボトルのお茶だけに頼る生活から、冬くらいはきちんとお茶を家で淹れる生活に少しずつ戻り、育児で使っていたミルクの電気ポットを使ってお茶を入れた。ペットボトルの便利さに完全にはまっていた私たちが、まさかこんなふうにまた電気で湯を沸かす生活に、冬だけとはいえ戻れるとは思っていなかったが、子どもが生まれる一年前に住み始めた今のマンションでは石油ストーブが使えなくなった、ということも理由の一つだろう。

とにかく、このサイズのポットをそれほど便利だと思えるなら・・・と意を決し、TVでよく宣伝していた「あっと言う間に直ぐに沸くティファール」の電気ケトルを買うことにした。

ティファールのキャッチフレーズが効果的だったせいで、私は日本のメーカーも電気ケトルを出しているということを知らなかった。「ティファールのケトル」という響きも今風でおしゃれだし、形も可愛いし、ティファールを買うために来たんだし・・・と随分自分に言い聞かせもしたが、結局お掃除のしやすいものに軍配が上がって、当初の目的だったティファールをやめて、タイガーの電気ケトルを購入した。

今はティファールも種類が増えたし、他のメーカーも発売しはじめたが、私が購入したかれこれ10年近く前は、タイガーの電気ケトルがダントツだった。少なくとも私が買ったビックカメラでは。

そのタイガーの電気ケトルの良さは、何といっても普段のお手入れのしやすさだった。ティファールは口がやや狭く、蓋が片側に開くタイプで、手を入れて中を洗うのには苦労しそうだったが、タイガーはまず広口で、蓋についているくぼみに手を入れて、親指と残りの指でキュッとつまんで持ち上げればその蓋がとれる作りなので、洗うのにも水を注ぎ入れるのにも便利だった。また中のつくりも、ティファールは熱を受ける底の部分はステンレスだが、側面はプラスチックで、その境が段差になって凸凹であるのに対し、タイガーは凸凹の全くない寸胴なケトルで、中が総ステンレスというところも、洗うのはもちろん、カルキを取るのにも適したケトルだと思えた。

このシンプルなタイガーの電気ケトルは未だに壊れることなく、毎日元気にお湯を沸かしてくれている。外は年月を感じさせるようになったが、中の状態は新品のようにきれいなままだ。確かにカルキはつくけれど、中が総ステンレスなので、私はお湯を沸かしたばかりの熱いケトルに、お湯を捨てた後、穀物酢をそのままケトルに5ミリくらいの深さになる程度入れて蓋をし、30分ほど温かい状態で放置し、時々くるくるっと酢を側面に濡らすようにしておくと、カルキが全て剥がれ落ちて、あとはきれいに水洗いすればピカピカである。プラスチックと違ってステンレスは、カルキがついていることも、取れたこともはっきり見えるのがいい。我が家に遊びに来てくれたある人は、帰りがけに近くのビックカメラで同じものを購入して帰ったくらいで、ティファールから買い替えた人も中にはいた。やはり、洗いにくいというのが難点だったようだ。

今もタイガーは私が使っている同じ形のままだが、中はステンレスにフッ素加工がされて、よりカルキなどがつきにくくなっているようである。日本の他のメーカーも寸胴タイプがほとんどだ。ティファールも今では10種類ほどタイプが増え、蓋の着脱可能なものが3種類出ている。ティファールは何といってもカラーがたくさんあるし、コロンとした形もかわいいので、いつ見てもやっぱり魅力的。しかし日本のメーカーの広口には掃除のしやすさという点でかなわない。デザインが先行しているのかなあ。
  

しかし、どのメーカーであってもカップ3杯分くらいのお湯なら大体1分ちょっとで沸く便利は、保温する必要がないということにもつながる。最近は保温できる商品も出ているが、私は必要性を感じない。飲みたいという時にケトルをセットしたら、急須に茶葉を入れて、湯のみを出して・・・と準備している間にお湯は沸いてしまうのだから。保温しないということは、衛生面や経済面でもメリットがある。まあ、電気ケトルには「昭和感」はないけれど、日々の生活の中では手放せない便利さで、コーヒーを飲んだりほうじ茶を飲んだりと、私たちも今や毎日お世話になる、欠かせない存在になってしまった。

家族の人数や、昼間は仕事で家にいないとか、さまざまな生活スタイルの違いによって電気ポット派と電気ケトル派と分かれるかもしれない。

現在の電気ポットは、かなり背も低くなって、ポンプを押すのも指一本で済むほど楽になった。いちいちロックを掛けなくても自動でロックしてくれて、誤って熱湯を出してしまうこともなくなった。そして何より、ずっと続いてきた花柄は消えてシンプルな「白物家電」になり、蒸気も出なければ、お湯を沸かす音も静か。機能に徹し、存在を消してしまうほど控えめなたたずまいになった。

しかし、やっぱり私はもうもうと湯気の立つ魔法瓶のあった暮らしが好きだ。今では一部を除いてもう製造もされていないが、たとえ製造されていても私自身は過去に戻ることはできないだろう。ないものねだりに過ぎないが、やはり「昭和はよかった」と思う。

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