IKEAのランタン バリの記憶

もう20年ほど前になるが、かねてから憧れていたインドネシアのバリ島へ、夫婦で一週間の旅に出たことがある。
ジャカルタ経由で夜バリへ入ったが、もわっとした空気と南国のたくさんの花に迎えられて、少し頭がクラクラするような感覚に陥った。

空港まで迎えに来てくれたのは、日本語が話せるインドネシア人の男性だった。彼の車に乗ってホテルまで向かう間、すでに夜になっていたバリは右も左も真っ暗で、車がどこをどう走ったのか全く分からなかった。いったいどこへ連れて行かれるのだろう、と心配になるほどの闇夜を、無言のまま、サスペンションの硬い車で揺られ続けた。途中、メインストリートのクタの街中に入ると、店の暖色系の灯りと人込みでホッとさせられたが、雑然としたそこを過ぎると、また闇、闇、闇である。時々やわらかい光が見えるが、人家ではなった。見える灯りはどれも、ヤシの木より低く建築されているホテルの灯りである。今はだいぶ景色も変わっているだろうが、当時私は「憧れだけでやって来たが、とんでもない所に来てしまったのかも・・・」と思った。ホテルに着くまで「あれは家かしら?」と何度聞いても、「いいえ、あれは〇〇リゾートです」「いいえ、あれは〇〇ホテルです」という答えだった。「インドネシアの人はどこに住んでいるんですか?」とガイドの男性に尋ねたことを覚えている。

「この辺りは海の近くなので、インドネシア人はもう少し山の方に住んでいるんですよ」
と聞き、駿河湾近くに住んだことのある私が「津波が危険だからかな?」とぽろっとつぶやくと、それを聞いたガイドは丁寧に教えてくれた。

「いえ、ヒンズー教では海は魔物が住むと信じられているからです。人が住んでいないわけではありませんが、あまり多くはありません。みんな海から少し離れた場所に住むのです。山は神の住む場所だからです」

パラパラっと旅行本を読んだだけで、その国の根本を成す宗教について何一つ勉強せず、小金を持ってるからと遊びにやってきただけの日本人2人だった。

情けない旅の始まりだったが、それでも私にとってバリは、どこからかガムランの響きが遠く聞こえる「神々の島」というイメージがあった。日が昇る前の静かな朝、日が沈む前の静かな夕べに、毎日欠かさず、室内や庭に宿る神に花を供え、香を焚く生活。昼間はみんなお昼寝のために家に帰り、どこもひっそりとする街中。突然ザーッと降る通り雨、そして雨が止むと森や田んぼから、緑のにおいを含んだ涼しい風がふわあ~っと通り抜ける、そんなイメージだ。夜になれば、森からジェゴグの楽器の音が風の中に混じって時折聞こえるのを、屋根のある中庭のカウチにもたれて、聞くとはなしに聞きながら本を読む、そんな幻想的な景色を想像していた。
そう想像させたのは、自然と一体化した人の暮らしに魅かれたからだろうが、バリにやってくるより前から、それだけではない感じがしていた。遠い記憶のどこかに、何かこれに似たようなことがあったなぁ、という懐かしい感覚だ。
よくよくその感覚を探ってみると「風の中に混じって時折聞こえる楽器の音」というところで引っかかった。あー、あれだ・・・となるものが、やはり私には確かにあったのだ。

私の田舎にはとても大きな川がある。さらさら流れる川ではなく、もう少しで海に注ぐという下流の川はとうとうと流れた。
8月のはじめ、祭りで山車が練り歩くと、「コンコンチキチキ、コンチキチ。コンコンチキチキ、コンチキチ・・・」と鐘や太鼓が鳴り響く。とても遠い所でその山車は祭り囃子を鳴らしているのだが、時折風に混じるように聞こえてくるのだ。

「どこか近くで山車引いてるよ。どこだろう?」
と聞くと
「ずっとずうっと遠く。川が風と一緒にお囃子の音を運んでくるのよ」
と、そこで生まれ育った母は言った。
その祭りは真夏の二日間鳴り続けるのだが、夜あたりが静かになると、このお囃子の音が遠くから聞こえてくるのだ。

私はバリのイメージが、どこか自分の記憶にある子供時代の景色にかぶるような気がして、バリに長年あこがれていたのかもしれない。国も宗教も全く違うのだから本当に不思議なことだが、日本がどんどん近代化して変わって行ってしまっただけで、バリには日本の無くした生活の記憶が残っているように思える。

バリのビーチを前に建つコテージの庭に、夕方太陽が沈みかける頃、素晴らしく香りのいい花とお香とろうそくを供えているホテルスタッフの女性に会った。この花の香りはむせかえるように濃厚で甘く、妖しいエキゾチックな香りだ。
波の音が絶え間ない、人気のなくなった静かなビーチの一角で、この甘い花とお香の香り、そしてランタンに灯した揺れる火は、私の中に「神々の島」という気高さだけではない何かをバリに感じさせた。刹那に命を燃やす人間の、万物の生死が、その御供えの香りと火のゆらぎに全て包まれているような、そんな「何か」である。

帰国後も、この香りと景色は頭から離れることがなく、花の名前は20年経った今でもわからない。随分、本などで探したが、香りは言葉で説明ができないため、これとはっきり断定できるものに出会えていない。イランイランのことではないかとも思ったが、アロマのイランイランの香りを嗅ぐかぎりは似ているとは思えない。強いて言えば、強いクチナシの香りをさらに凝縮し、人を惑わせるエッセンスを加えたようなものだ。クチナシの香りを知っている人なら「あー、ああいう香りね・・・」とわかってもらえるだろう。もちろん、バリの花はクチナシではなかったし、見た目は地味な、しかしその香りは抗いがたいほどの魔力を持った花だった。

花は日本に持ち帰ることはできないし、名前もわからないので再現することはできないが、アロマを焚いてランタンにろうそくを点す生活はここ日本でも可能だ。
2年ほど前、IKEAでランタンを買った。黒い鉄のフレームで、少しちゃちくはあるが、雰囲気はいい。ここへLEDキャンドルのルナーテを点している。ろうそくの炎の揺れを再現したフェイクのキャンドルだが、手に持った質感はまさにロウそっくりで、炎も機械的に揺れるのではなく、一見本物のろうそくに見間違えるほど、自然な陰影と揺れである。
私が購入した「ムービングキャンドル ルナーテ」は火も使わず煙も出ないので危険はないし、手にもっても熱くない。スイッチは常灯、タイマー、オフの3つ。タイマーにすると、セットしたその時点から5時間点灯して自動消灯し、19時間後にまた自動点灯を始めるので、毎日ほぼ同じ時間に自動で火がともり、とっても便利だ。電池式で単3電池が2本必要で、私は充電式の電池を使っている。電池が切れたら日中に充電して・・・を繰り返しているが、そう頻繁には切れたりしない。説明によると、1日5時間のタイマー点灯で約24日使用できるとのことだ。
  
私はこのルナーテのアイボリー色をIKEAの黒いランタンに入れて、玄関と廊下の2か所、そして母の遺影のとなりにひとつ置いている。日の短い冬は夕方5時から10時まで、日の長い夏は夕方6時から11時まで点灯している。
私のこだわりは置く高さだ。玄関と廊下の2つは目線ではなく、あえて足元に置くのが私にとっての重要ポイントである。洗面所で無印良品のアロマをほのかに焚き、足元で揺れるランタンの火を見ると、20年も昔のことなのに、バリのあの夕暮れの景色が甦る。家の中で少しばかり、あのお供えで感じた印象を再現したいのだ。

しかし洋風に、廊下にいくつかルナーテをそのままポツポツと置いても、まるでバージンロードみたいで素敵だろうし、テーブルの上にルナーテをそのまま置いて、フェイクのグリーンを周りにぐるっとはわせても、さわやかで素敵だ。夏は丸い形の大きな花瓶などがあれば、中にルナーテを入れて灯し、周りには白い石と一緒に、海で拾った夏の思い出の貝殻を入れて火を点すのも素敵だ。クリスマスシーズンには、ゴールドやシルバー、赤などの細く繊細なガーラントをルナーテのボディに緩く2巻くらいまき付けて、籐の籠に松ぼっくりや綿の花、星の形の八角、麻ひもで何本か束ねたシナモン、姫りんご、シダの葉などと一緒に飾るのもムーディーだ。
和風に飾るのも結構合う。冬なら四角い大きな白い皿に白い玉砂利を敷き、そこにアイボリーのルナーテを置いて、椿の花をガクに近い所で短く切って、緑の艶々した葉と一緒にキッチンペーパーに水を含ませてラップでカバーしたものを石の上に置く、なんていうのも日本的だ。お正月なら羽根つきの羽根や、和駒を飾っても素敵。夏なら緑のもみじやアジアンタムなどの緑を小さく活けて添えてもいいし、秋なら黒い玉砂利を敷いてフェイクの赤い紅葉を散らしても素敵だ。本物のろうそくなら危なくてできないことも、ルナーテなら可能なので、シーズンに合わせてさまざまに演出できるのがとてもいい。ルナーテはレッド、ピンク、パープル、アイスブルーなどもあって色々買い揃えたくなってしまうが、飾りつけによっていろんな表情を見せてくれるアイボリーが私のお気に入りだ。

そしてこのルナーテ、実は非常時にも優れている。ろうそくの火は、温かい色と揺れで心が無になるような安らぎを得られるが、その分やはり火の心配をしなくてはならず、そばを離れられない。ルナーテは電池が2本必要になるが、ろうそくのように火の心配をしなくていいというメリットがある。バリの記憶だけでなく、防災の意味でも、私はこのルナーテの火を絶やすことはこれからもないだろう。

温かくなって窓を開ける日が多くなってきた。
さわやかな新緑の風とIKEAのランタン、そしてルナーテの灯りはとてもよく似合う。私の家で一番のお気に入りの場所は部屋ではなく、この玄関と廊下である。

スポンサーリンク
レクタングル(大)
レクタングル(大)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
レクタングル(大)