東京では桜が終わり、いちょうの木もケヤキの木も少しずつ若葉が所々こんもりしてきたなーと思ったら、来月はもうGW、そして5月8日は母の日だ。早いなあ。
子どものころから母の日を大切にしているにもかかわらず、私はどうも準備の出足が毎年遅い。今日、お気に入りのお店のネットをのぞいてみたら、母の日用の花束は全て完売だった。私が遅すぎるのか、みなさんがお早いのか。とにかく人気のお店は今頃どこもきっと完売なのでしょう・・・。
母の日間近になると、近所の丸井は入り口付近に鉢植えのカーネーションを大量に並べる。赤いカーネーション、ピンクのカーネーション、赤い縁取りのカーネーションとお花の山のようだ。母の日の前日や当日になると、そのコーナーは人でごったがえし、籠に入った大きなカーネーションを買って家族で帰っていく姿が見られる。
私はいつもその場所でたくさんの家族が笑顔でいるのを見て「お母さんってどこのおうちでも愛されてるなあ」と幸せな気持ちになる。いつもはお母さんが食事の準備や洗濯をしてくれるのを当たり前に思って見ている家族が、「お母さん、ありがとう」と言ってお花を買って渡しているなんて幸せな光景じゃないか。きっと家ではお母さんのために、子どもが肩もみチケットをあげたり、お父さんと子どもとで夕飯を作ったりしているのかもしれない。
何年か前、毎年のごとく母の日前日の夕方、閉店間際の花屋に駆け込んだ時のこと。高校生か大学生くらいの男の子が花屋に母の日のカーネーションを買いに来た。お店の人が声をかけると「カーネーションください」と言い、お店の人が値段やスタイルなどいろいろ質問をして、それに答えながら会計にこぎつけた。私は二軒分の花キューピットの手続きをしていたが、なんとなく男の子が気になって、買い物の一部始終を見ないフリをして見ていた。が、もう口元が笑顔でゆるみっぱなしになってしまい、それに気づいた奥で仕事をしていた女性の店員さんも、その意味が分かったようにほほえみかえしてきた。
彼は花屋さんが何を聞いても、まるでハトのように軽く首を前に突き出すようにしながら「あー、はい」「あ、それでいいです」「あ、ピンクとかがいいです」という短いセンテンスで答えるのだ。その様子は、花を買うことに慣れていない男の子の独特の戸惑いや気恥ずかしさにあふれていて、かわいくてたまらなかったのだ。
彼はどんな風にお母さんにお花を渡すのだろう。「別に、安かったから買ってみただけ」と言ってぷいっと渡すのだろうか。きっとお母さんは息子からのカーネーションに感激したに違いない。しかし、彼が店に入ってくるところからお金を払うところまで全て見ていた私は、この姿こそお母さんに見せてあげられたら最高にいいのに・・・と思った。「はじめてのおつかい」みたいに。間違いなく彼のお母さんは涙をうかべて喜ぶはずだから。
お父さんには申し訳ないが、母の日は家族の愛がぱあーっと輝いて見える、一年で一番みんなが幸せになる日のように思えるのだ。これはクリスマス以上じゃないだろうか。サンタクロースからプレゼントをもらって喜ぶ子どもと、それを眺めて喜ぶ親という幸せも素敵だが、母の日は家族が家族を感謝をし、みんなで同じ幸せをかみしめる日だからだ。
私が初めて母の日に自分のお金で花を買ったのは、たぶん小学校4年生だったように思う。通学路にあった小さな八百屋で花を買ったことを覚えている。今のように社会になれた小学生ではなく、行動範囲が狭い昔の、それも田舎の小学生だった私は、自分が行ける範囲で花を売っているのはその八百屋さんしか知らなかった。水を入れた大きなポリバケツにもやしを入れて、買いに来た人にザルですくって量り売りをしていた時代の小さな八百屋だ。
どんな花を買ったのか、カーネーションだったのかも覚えていない。カーネーションが売っているような店ではないので、もしかすると仏花だったのかもしれない。とにかく子供心に花を買って病気がちの母にプレゼントしたかった。
「母の日だから・・・」と言って母に花を渡すと、とっても驚いて「まあ、あんたが買ったの?自分で?まあ、ありがとう・・・」と言われたことだけははっきり覚えている。たぶんあれが初めて母へ送った母の日のプレゼントだ。
それから何年か、母の日に何をしてあげたのか覚えていない。花ではなくお手伝いをしたりしていたのではないかと思う。小学生3年生の母の日以降で、次にはっきり母の日のプレゼントを覚えているのは大学生のころだ。
アルバイトをし、自由に使えるお金が持てるようになったその頃から、毎年デパートでいろいろと品定めをしていた。エプロンの年、扇子の年、化粧水の年、コンパクト鏡の年、日傘の年、雨傘の年、アクセサリーの年。どれも母は喜んでくれた。就職してからも品物をプレゼントしたが、この頃から赤いカーネーションを花束にして贈るようになり、結婚してからは二人の母に贈るようになった。
しかし、私は母の日に鉢植えを贈ったことはない。フラワーアレンジメントもあまり馴染めない。今もできる限り「花束」というものにこだわっっている。まだ結婚したばかりの頃は、花キューピットのようなシステムを使わず、買いに行ったお店で自分が見繕った花を花束にし、それを箱に入れてもらって、冷蔵で宅配してもらった。二度目の母の日で「今そんなことする人いませんよ」と、花が箱の中で動くから傷む、とか、現地の花屋が冷蔵庫から出して配送する方が新鮮だから、と花屋に説明されて、その後は花キューピットのシステムで宅配してもらっているが、当時そんなスタイルにこだわったのは、最高に美しい花の贈り方を知っていたからである。それはかつて、リボンがかけられた大きな白い箱に、白い薄紙に包まれて真っ赤なバラがふんわり詰められ、メッセージカードが添えられたプレゼントを受け取ったことがあったからだ。ミンクのコートでも包んであるかのように、ふんわりとした白い薄紙に包まれた真っ赤なバラは、カスミソウを混ぜてセロファンで包んだバラよりはるかに美しく、花束の贈り方でこれ以上の美しい方法はないと感激した。
昔とは違い、今はどこからでも、どこへでも新鮮に花が贈れるように時代は進んだが、「花束」という言葉にも、形にも、私は強いあこがれを持っている。花束を胸に抱えた人はみな本当に美しい。受け取った人の喜びと誇りにあふれた笑顔は、フラワーアレンジメントでは決して出すことができない魅力だと思っている。私が花を贈る人には、たとえ立派な花ではなくても、胸に抱える花束で、その香りに顔をうずめて幸せそうに笑ってもらいたい。そんな願いがある。
受け取ってから花瓶にさす作業も、人によっては面倒に思うかもしれないが、私はそんな時間も好きである。
「この花初めて見る花・・・これ変わった花ね・・・」
そん風に思いながら活ける姿を思い浮かべて花を贈る。
今年も夫の母には赤いカーネーションの花束を贈ろう。きっといつものようにすごく喜んで明るい声を聞かせてくれるだろう。
今年も私の母には白いカーネーションの花束を贈ろう。きっと天国で「ありがとうね」って笑って胸に抱えてくれると信じて・・・。